乱立するタトゥー・スタジオ
バリ島で最初に感じたのはやけにタトゥー・ショップ(tattoo shop)が多いことである。しかも次々と新規開店している。スミニャックのゲストハウスの対面には2軒の店が新規開店の工事をしていた。1軒の店でオーナーに聞いたらタトゥー・ショップを開くとのこと。驚いたことに隣の店もオーナーの友人がタトゥー・ショップを開く予定という。
スミニャックの筆者が逗留したゲストハウスが面した通りには100メートル以内に6軒もタトゥー・ショップがあった。バリ島のどこでも同じような状況である。それだけ旺盛な需要があるということだ。英国から来たカップルと話しているとき男性がバリ島の記念にガルーダ(伝説の神鳥)のタトゥーをすると嬉々として語っていた。
思い起こせば昨年夏に訪問したフィリピンでも観光地にはタトゥー・ショップが並んでいた。さらに過去に行った地中海やタイやマレーシアなどのビーチ・リゾートも同様に多数のタトゥー・ショップがあった。
タトゥー・ショップのお客は欧米系白人の若者
9年前に退職後初めての放浪旅をした地中海では多くの欧米の白人男女(コーカロイド)の若者が日焼けして入れ墨してピアスをしているのを見て些か奇異に感じた。彼らは競って肌を黒くして全身あちこちに入れ墨して鼻や唇にピアスをしているが、白人の彼らが追い求めている理想形はアフリカの未開の黒人(ネグロイド)部族のファッションではないかと根拠のない想像をした。
今回のバリ島でも男女問わず派手にタトゥーをした白人系若者がビーチ・リゾートを闊歩している。考えてみると米国を除く世界中のビーチ・リゾートで黒人(ネグロイド)の観光客を見かけることは稀である。オリンピックで欧米諸国代表の黒人水泳選手が稀なように。この現象にも何か背景があるのだろうか。
世界はタトゥー文化圏と非タトゥー文化圏に分かれているのか
米国ではタトゥーをした黒人を見た記憶がない。彼らの祖先の母国のアフリカでは入れ墨は伝統的文化であるのに。
インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイなど東南アジア人ではファッションとしてタトゥーをしている男子が多い。対照的に東アジアの中国、韓国では日本同様にタトゥーは社会的にタブーのようである。そして南アジアのインド人・パキスタン人もタトゥーをしてない。
こう考えるとタトゥー(入れ墨)をするかしないかは何か基本的な価値観の相違があるように思える。
まったくタトゥーをしない欧米人は何者なのか
地中海のイオニア海の高級リゾートで出会ったダイアナ妃を彷彿させる英国女性はビキニが似合う金髪碧眼の美人であった。旦那さんは銀行勤務のエリート。カップルは30代半ばであるがロンドン郊外の一軒家に住み、ロンドン市内に投資用のマンションを所有していた。2人ともまったくタトゥーをしていなかった。
スペイン巡礼街道の途上で知り合ったカップル。米国人の男性はボーイング社の設計技師、スペイン人の女性は博士号を2つ持つ世界的製薬会社の顧問弁護士というエリート。川の畔で日光浴をしていたがやはりタトゥーはなかった。
どうも思い起こすと社会的上層階級の人々はタトゥーをしないようだ。英国王室の誰一人としてタトゥーをしていない。
タトゥーをするのは労働者階級の人々なのか
パロス島のビーチで知り合った地元の大きなホテルとレストラン2軒を経営する一族の後継ぎとなるアテネの大学に通う女子は腕や足に派手なタトゥーをしていた。父親から将来のために経営学を勉強しろと言われたが経営財務とか会計学が苦手と嘆いていた。彼女のフィアンセはテレビの料理番組にも出ていた有名なシェフで当時はキプロス島の最高級ホテルの料理長をしていた。写真を見たら彼のマッチョな腕にもカッコいいタトゥーがあった。
金持や高給取りでもタトゥーをしているのだ。世界的に有名なサッカーのベッカム選手の全身入れ墨が代表的な例である。ベッカム氏は現在まぎれもないセレブであるが労働者階級の出身である。ベッカム氏のさまざまなデザインのタトゥーにはそれぞれ意味があるという。プライド、勇気、献身、忠誠などなど。つまりベッカム氏はタトゥーにより自身の価値観をメッセージとして発信しているのだ。
白人系(コーカロイド)の若者がタトゥーをするかしないかの判断基準は何か。もともと中学生や高校生頃まではほとんどタトゥーをしていない。どうも高校卒業前後からタトゥーを入れ始めるようだ。
ドイツで実業学校(日本の商業高校、工業高校のように卒業後就職することが前提の学校)を卒業したカップルがおそろいの小さなバラのタトゥーを肩に入れていた。卒業記念らしい。男子はレストランで料理人見習い、女子はウエイトレスで将来2人のレストランを持つのが夢だ。
かつて放浪旅で出会ったタトゥーをしていた白人系若者の職業を思い起こしてみた。男子ではバーテンダー、料理人、大工、庭師、漁師、船員、工場労働者、消防士、トラックドライバーなど。簡単に一括りにはできないが、いわゆる一般的に労働者階級という社会的階層に入るように思われる。タトゥーを入れる判断基準に関してバリ島で遭遇した2人の若者からヒントを得た。
英国社会で南ア帰りは下級市民なのか
チャングーで同宿したエレンは25歳。英国マンチェスター出身、建築学修士号を取得して1年間のギャップイヤーの途上でバリ島に来た。英国で建築学科を卒業すれば世界中で建築家として仕事ができる。建築学修士は大変なエリートである。
彼女は南アフリカ生まれで幼少期に一家で英国に移住。両親の家系はともに百年以上前に南アに移住した英国人である。南アは1990年代末にアパルトヘイト政策の下で英国系白人が支配していた体制が黒人も投票権を持てる政治体制に移行した。当時将来を悲観した多数の英国系白人が南アを去って英国に移住した。なおエレンによると20世紀初頭に英国によるボーア戦争で敗れたオランダ系のボーア人の子孫は大半が南アに残ったという。
エレン一家が英国に移住した時期に筆者は商用でヨハネスブルグ発シンガポール行きのフライトに乗ったことがあった。台湾人の農民の団体旅行客が50人近く乗っていた。彼らは南アから引き上げる白人農場主たちが長年経営してきた農場を格安で買うために南アを訪問していたのだ。台湾は農地が狭くさらに中国に支配されるリスクがあり将来に備えて投資も兼ねて広大な農場を買いに来たのだ。
また同時期に英国の地方都市の機械メーカーのマネージャーに招かれ彼の友人たちと一緒に食事をしたことがあった。友人たちは全員が南アからの引揚者だった。英国社会では南ア帰りは差別されてまともな職業に就けないと嘆いていた。例えば南アで看護師だったが英国では准看護師扱いにされたとか、南アの大学での学位が評価されず高卒並みの給与にされたとか、英国社会では南ア出身者はインド人移住者と同じように遇されるなど口々に差別を批判していた。