現代に生きる1955年バンドン会議の非同盟中立主義
8年前にスマトラ島への途上でバンドンに立ち寄った。1955年に開催された通称バンドン会議、第1回アジア・アフリカ会議は60年代から70年代に学校教育を受けた年代には懐かしく輝かしい国際会議であった。戦後欧州諸国の植民地から独立したアジア・アフリカの非白人国家の指導者が一堂に会したのだ。
中国の周恩来、インドのネルー、インドネシアのスカルノ、エジプトのナセルなどの英雄がきら星のごとく並んだ国際会議であった。反帝国主義、反植民地、民族自決という理念の下で米国主導の西側にもソ連主導の東側にも属さない第3の勢力として非同盟主義を掲げた。バンドンの街でそんな高邁な理想を人々が信じていた時代もあったと感慨に浸ったことを思い出す。
会議から70年近く経て現在の世界はそのような崇高な理念とはかけ離れた状況にある。筆者自身“非同盟中立外交”など過去の遺物と思っていた。ところが今回バリ島を訪問して非同盟中立外交をインドネシアが現在も実践していることをインドネシア人から再三聞くことになった。
複雑なる周辺国との関係
バリ島でインドネシア人と話していて気づいたのは近隣諸国に対する微妙な国民感情である。例えば経済の80%を観光に依存しているバリ島にとりオーストラリア人は中国に次いで最大のお客様である。
しかし外交的にはオーストラリアとは常に領土を巡り緊張関係にあると長年海外のホテルで支配人をしてきたジャカルタ在住のI氏は解説。元ポルトガル領のチモールの独立の過程でインドネシアはチモールの全面的併合を目論んだ。最終的には東チモールが独立して西チモールはインドネシア領となったが、オーストラリアは常に東チモールでの利権拡大を狙っており油断できないという。特にチモール海の資源利権を狙っており、インドネシアとオーストラリアは現在小さな島の領有を巡って小競り合いしているという。
スパ&マッサージ店のオーナーは両国が一部外交官を引き揚げたりして外交関係が悪化しているので最近オーストラリアからの客が予測より少ないと懸念していた。
また誰に聞いてもマレーシアに対してインドネシア人は悪い感情を抱いている。両国間にも海洋資源を巡る緊張があるが、それだけでないようだ。両国は第2次大戦で日本軍の占領を経て戦後それぞれオランダ・英国から独立した。そして両国ともイスラム教徒が多数を占めるイスラム国家であり石油・ガスなど天然資源にも恵まれている。
両国は戦後ほぼ同じ経済水準からスタートしたが、約70年を経て現在では1人当たりGDPベースでインドネシアは大きくマレーシアの後塵を拝している。2021年マレーシアは1万1450米ドル、インドネシアは4350米ドルである。その結果としてコロナ禍前の2019年には200万人以上のインドネシア人がマレーシアで出稼ぎしていた。つまりインドネシア人は単純労働者としてマレーシア人にこき使われているという屈折した感情があるとI氏は指摘していた。
日本に対する相反する感情
データ・サイエンティスト25歳のカリナは現代の日本はアニメ・マンガなどの文化と観光先(tourism destination)という意味で魅力的だと礼賛する反面、第2次大戦でアジアを占領した歴史から日本に対する警戒感はなくならないという。ちなみに統計によるとインドネシア人の95%は「いつか日本を観光したい」という。
カリナの日本観はフツウのインドネシア人の日本への見方を代表しているようだ。若い人でも日本は好きだけど戦争をした日本は許せないというコメントを頻繁に聞いた。
また出稼ぎ先として日本を希望するインドネシア人は非常に多い。若い男女は筆者が日本人と分かると半数くらいが「できれば日本で働きたい」と語った。