切れ者の外交官として評判だった彼は、英国への復讐を窺うべく、情報網を拡大することになる。その活動は欧州にとどまらず、中東から中央アジアにまで及んだ。現在、ロシア情報機関の能力は世界的に特筆すべきものであるが、そのきっかけとなったのはクリミア戦争での敗北であったともいえる。逆に勝利した英軍の方は、戦争が終わると情報組織を縮小しており、このことが後のボーア戦争における苦戦の遠因となるのである。
リンカーンが設置した
米軍初の暗号解読組織
米国の歴代大統領で、インテリジェンスを重視した大統領は評価が高い。これは歴史の後知恵だが、米国において偉大な大統領というのは、戦争を勝利に導くようなイメージが強いので、勝つためにはインテリジェンスを駆使しなければならないということだ。
その意味では、エイブラハム・リンカーン大統領もやはり南北戦争においてインテリジェンスを活用した一人である。同時代の欧州諸国の政治指導者と比較すると、リンカーンは電信技術というものにかなりの興味を示した。リンカーンの場合は新聞記事よりも、電信そのものから情報を得ていたようである。
戦争中、彼はホワイトハウスを抜け出し、陸軍省の暗号室で、戦場から送られてくる電信に直接目を通していたという。さらにリンカーンは、陸軍省に暗号解読班を設置し、解読された南軍の通信も読んでいた。この解読班は17歳から23歳の若者で結成されており、米軍史上、初めての暗号解読組織となった。
対する南軍の方も暗号解読に着手しており、双方、偽情報を流して相手を混乱させるような工作も行っていた。南軍の名将ロバート・リー将軍は、暗号解読に配慮して、機微な情報の場合には電信の使用を禁じたほどである。
さらにリンカーンはワシントン上空に気球を飛ばし、上空から電信によって80㌔メートル先の様子を伝えるというデモンストレーションを見学して、これを非常に気に入っている。この実験からわずか2カ月後には7台の気球を揃えた気球部隊が米軍内に結成され、62年の夏にバージニア半島で初めて実戦投入され、空から南軍の部隊の様子を捉えることに成功した。これは世界初の快挙であったが、当時は戦場での気球の維持が大変で、その後同部隊は廃止された。
63年初頭には陸軍情報部が組織され、これが米国で初の本格的な情報機関となった。同情報部と連携していたのが、奴隷制度廃止派の慈善活動家、エリザベス・ヴァン=リーという女性スパイで、彼女は負傷した兵や南軍の捕虜の見舞いをしながら、南軍に関する情報を密かに収集していた。
またヴァン=リーは身銭を切って情報を集め、それを空の卵に収め、本物の卵に混ぜて北軍に渡していたとされる。
陸軍情報部長のジョージ・シャープ大佐と上司のユリシーズ・グラント大将は、彼女に1万5000㌦(現在の貨幣価値で約7000万円)を返金すべきであると議会に要求しているが、それはかなわなかった。その後グラントは大統領になるとこの借りを返すため、ヴァン=リーを南部連合の中心都市であったリッチモンドの郵便行政のトップに任命している。これは当時の女性としては最高位の官職であった。
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