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INTELLIGENCE MIND

2022年12月1日

 16世紀のエリザベス1世の時代は、イングランドが内憂外患に直面した時代であった。女王はこれら苦難を克服し、後にイングランドの黄金期と呼ばれる時代を築き上げたのである。そして陰で女王を支え続けたのが、宰相フランシス・ウォルシンガムであった。

 ウォルシンガムは駐仏大使を務めた外交官であり、1573年には国王秘書長官(現在の国務大臣)に任命され、情報活動の責任者となる。彼は「情報にはいくら金をかけても高すぎるということはない」という有名な言葉を残しており、情報収集の体制づくりに心血を注いだ。

 ウォルシンガムは国内外に情報提供者を多数雇い込み、さらにトマス・フェリペスという暗号解読官を中心とした組織を設置して、国内の郵便物に目を光らせたのである。この活動のため、ウォルシンガムは女王から機密費を受け取っていたが、それでも足りない分は私費で補っていたという。

女王の暗殺阻止へ
暗躍したスパイ

 当時ウォルシンガムが最も警戒したのがカトリック勢力の浸透であり、その大本がスコットランド女王メアリーであった。メアリーはイングランド女王エリザベスの遠縁にあたり、その背後にはスペイン王フェリペ2世が控えていた。メアリー女王自身もエリザベス1世に代わって、イングランドを治めるべきは自分であると考えていたが、プロテスタントのウォルシンガムにとってそれはカトリックとフェリペ2世に国を乗っ取られるのに等しいことであったため、何としても阻止しようとしたのである。

 ウォルシンガムのスパイ網は83年3月、エリザベス女王に対するクーデター計画の情報を入手する。それは女王を暗殺して、ローマ教皇軍とスペイン軍がイングランドに侵攻し、メアリーをイングランド女王に据えるというものであった。

 ウォルシンガムは早速、首謀者のフランシス・スロックモートンを逮捕し、自白を引き出すことに成功した。計画の裏にはスペインの駐英大使、ベルナルディノ・デ・メンドーサがいることが明らかになり、大使は国外追放処分となった。

 しかしその後も女王に対するクーデター計画は続く。

 今度はメアリー女王自らが計画の首謀者となっていた。メアリーはウォルシンガムの厳格な監視下に置かれていたため、屋敷に週に1度運ばれてくるビールの樽に暗号で書かれた手紙を忍ばせ、協力を申し出た駐英フランス大使に送られていたのである。

 だが、抜け目ないウォルシンガムの部下はこの手紙を密かに抜き取り、暗号解読によって内容を掴んでいた。計画はやはりエリザベス女王を暗殺し、スペイン軍がイングランドに侵攻するというものであった。そして暗殺役にはアンソニー・バビントンというカトリック教徒の若者が抜擢された。

 バビントンは6人の実行犯を組織し、メアリー女王と直接暗号文で具体的な計画をやり取りしていた。86年7月6日にバビントンは「われわれによって(女王の)悲劇的処刑が行われることになりましょう」と書き送り、メアリーも「外国軍の侵攻準備が整えば計画実行の時です」とクーデターを煽っているが、このようなやり取りはウォルシンガムに筒抜けとなっていた。

 同年8月14日、バビントンとその一味は一斉に逮捕され、翌月には反逆者として処刑された。そしてメアリー女王も反逆罪で裁判にかけられることになる。裁判で女王はバビントンなる人物は知らないと言い張ったが、ウォルシンガムが解読した女王の手紙を読み上げると、観念したという。

 その結果、死刑が宣告され、87年2月8日にメアリーは処刑された。


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