2月24日、大方の予想を裏切ってロシア軍はウクライナに侵攻したが、その後、さらに予想を裏切り、ロシア側の苦戦が続いている。
この要因は、ウクライナの抗戦能力の軽視や情勢判断の甘さに由来するロシア軍の準備不足、欧米の対ウクライナ軍事支援と対ロシア経済制裁、そして欧米による情報支援の賜物である。
特に情報支援において、欧米は異例とも言えるインテリジェンスの扱い方によって、ロシアの偽情報に対抗する姿勢を見せており、世界は「新たなインテリジェンス戦争」のフェーズに入ったとも言える。
歴史に見る
ロシアの情報工作
従来の「情報戦」は、二度の世界大戦によって確立された。それはスパイや暗号解読を駆使して、相手の機密情報を入手し、それを戦略や軍事作戦に活用していくものである。ここでの原則は、機密情報はそれを入手した政府機関や軍によって使われるものであり、機密は漏れないよう秘匿されなければならない。
これに対して長年ソ連・ロシアが行ってきた偽情報工作は、使い道のない機密情報に偽情報を加え、世界中に流布することで、相手国を混乱させるものだ。偽情報は公開を前提としているため、あたかも真実かのような巧妙なものとなる。
例えば、東京で活動していたソ連国家保安委員会(KGB)のスタニスラフ・レフチェンコはサンケイ新聞(当時)の山根卓二記者(コードネーム「カント」)を通じて、1976年1月23日付の同紙に捏造した「周恩来の遺書」を掲載させ、中ソ和解の可能性をほのめかした。当時、中ソ関係は国境紛争によって悪化、日中関係は日中共同声明によって好転しつつあったため、KGBは偽情報の流布によって、日中関係に楔を打ち込もうとしたのである。
その後、2013年にはロシア軍参謀総長のゲラシモフが「新しい」戦争について論じており、非軍事手段と軍事手段の割合は4対1で使用されるべきだとしている。ここでいう非軍事手段とは主に情報戦を指しており、サイバー攻撃と情報インフラの破壊、そして偽情報の流布によって事前に優位を確立した上で、軍事力を行使するというものだ。
これが実践されたのは、14年3月のロシアによるクリミア半島の併合であり、欧米では驚きをもって「ハイブリッド戦争」と呼ばれた。この方式においては、全体の8割近くが情報戦で占められていたため、ロシアのハイブリッド戦争に対抗するには、まず情報戦で優位に立たなければならないということだ。
そして2022年のウクライナ侵攻においても、ロシアはハイブリッド戦争を仕掛けようとした節がある。しかしこの8年間に欧米側の対抗策も進んだため、今回、ロシアの情報工作はうまくいっていない印象である。
ウクライナ侵攻において、欧米が採った対抗策は、①インテリジェンスに基づいた正しい情報をあえて公表することでロシア発の偽情報を駆逐する、②欧米の民間企業や組織が情報戦の分野に参加する、といったものである。
米国のバイデン政権は状況が緊迫すると、国家安全保障会議のアレクサンダー・ビックを長とした「タイガー・チーム」を結成し、ロシアの出方に備えた。同チームには米国のインテリジェンス関係者が多く集まっており、米国のインテリジェンス各組織が収集する情報が集約されていたようである。2月に入ってロシアの侵攻の可能性が高まると、同チームの提案で、全世界に対して米国の機密情報を発信するという行為に出たのである。2月15日にバイデン大統領は「われわれが知っていることを共有する」と宣言した。