中国共産党のインテリジェンスは、孫子の思想が色濃く残り、欧米諸国とはまた一風変わった趣がある。
中国の情報機関は基本的にスパイを多用するが、ロシアのように危ない橋は渡らず、人手を使ってできるだけ多くの断片情報を集めてくる傾向があると言われており、「千粒の砂の中に一粒の砂金」があれば良いとされる。
しかし、死活的利益がかかる場合には危ない橋を渡ることもあるので、戦後日本のような単なる安全志向というわけでもない。さらに最近の中国のインテリジェンス・コミュニティーはかなり洗練されており、欧米のそれと比べても遜色がなくなってきている。今回はまず過去の中国共産党の情報活動について見ていきたい。
太平洋戦争の終結によって日本軍が大陸から撤兵すると、毛沢東主席率いる中国共産党と蔣介石総統率いる国民党の間で熾烈な主導権争いが生じた。元々、中国共産党のインテリジェンスはこの争いに勝利するためのもので、その責任者は周恩来首相であった。
周首相は「前三傑、後三傑」と呼ばれる6人のスパイを国民党に潜入させ、国民党の内情や軍事作戦情報を入手することに成功した。その中でも熊向暉(ゆうこうき)は、毛主席から「数個師団に匹敵する」と称賛されたほどのスパイで、国民党の有力軍人であった胡宗南(こそうなん)総司令の機密担当の秘書となり、多くの貴重な情報を共産党に流していたのである。
当時、熊は完全に国民党の人間であると信じられており、その働きぶりから米国に留学までさせてもらっている。そして留学を終えた熊は国民党には戻らず、そのまま共産党へ帰った。
熊が13年間のスパイ活動を終えて北京に戻ってきた際には、国民党員が投降してきたと見なされたため、周首相自ら熊の正体を明かしたほどである。
16人の命より
優先されたもの
戦後も共産党と台湾に移った国民党の間で熾烈なスパイ合戦が繰り広げられることになる。
中でも1955年4月11日、北京から香港を経由してインドネシアのバンドンに向かっていた中国政府のチャーター機「カシミール・プリンセス」号が爆発・墜落した事件は壮絶なものであった。
この便にはバンドン会議に出席予定の周恩来首相が搭乗する予定となっており、国民党に雇われた工作員が香港に駐機している機体に爆弾を仕掛けることで周の暗殺を謀ったとされる。これに対して中国側は内通者によってこの破壊工作を事前に察知したが、この時点で乗客を避難させてしまうと、内通者の存在が台湾側に知られてしまう可能性があった。
そこで周首相のみを「急病」として機体から降ろし、あとの中国側スタッフは予定通りに行動させたのである。その結果、このチャーター機は香港を離陸して4時間後に爆発・墜落し、搭乗員と乗客計16人が死亡することになった。この台湾側の工作によって中国側は多大な被害を被ったが、それと引き換えに情報源を守り、かつ国際社会に対して台湾側の非を大々的に糾弾することができたのである。
中国側からすれば、周首相を救った内通者の存在を隠し通すことは、16人の命より優先されたということになる。