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INTELLIGENCE MIND

2021年11月5日

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小谷 賢 (こたに・けん)

日本大学危機管理学部教授

1973年生まれ。ロンドン大学キングス・カレッジ大学院修士課程修了、京都大学大学院博士課程修了。防衛省防衛研究所主任研究官、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)客員研究員、防衛大学校講師等を経て現職。主な著書に『インテリジェンスの世界史』(岩波現代全書)、訳書に『特務 スペシャル・デューティー』(日本経済新聞出版社)など。

 今回はイスラエルの諜報特務庁(モサド)の数々の秘密工作について見ていく。

 情報機関は情報収集以外に、秘密工作活動を行う。これは元警察官僚の小林良樹氏(現・明治大学公共政策大学院特任教授)が指摘するように、他にこれを担える機関が存在しないので、情報機関が副業的に請け負っていることが多いが、国によってはこちらを重視する。イスラエルの情報機関がそうだし、冷戦期の米中央情報庁(CIA)も秘密工作にのめり込んでいた。

 そもそも暗殺や破壊工作活動は法律に抵触しないのかという問題があるが、基本的に情報機関はそうした活動について自国の法律は重視しても、他国に対してはその限りではない、という考えがあり、国際法においても秘密工作活動について明確には禁じていない。

 あえてグレーゾーンの領域を残しておくことで、どの国もいざという時のために備えられる。そのため普通の国家であれば、自国内で外国のスパイが跋扈しないように、スパイ防止法の類いを設けていることが当たり前である。

 前回の本連載では、モサドは情報収集重視から、1972年のミュンヘン・オリンピック事件を契機に、暗殺活動に手を染めるようになったことを紹介したが、これはパンドラの箱を開ける行為に等しかった。前述の通り、情報機関による暗殺行為は国際法で規制されていないため、暗殺された側は暗殺やテロ行為を報復として行うようになるからである。

 こうして70年代から20年以上にわたって、モサドとパレスチナ解放機構(PLO)の間で、暗殺とテロの報復合戦が繰り広げられることになる。90年代に入ると、冷戦の終結もあり、さすがに双方に疲れが見え始めるが、その後はイスラエルの国内防諜機関であるシャバクと、ハマスやヒズボラとの間で暗殺とテロの応酬が延々と続いた。

イランを襲った
「スタックスネット」

 その後2003年のイラク戦争でフセイン体制が崩壊すると、イスラエルの国家安全保障上の脅威はイランとなった。イスラエルは隣国が核開発に着手すると、それを空爆によって取り除く方針を取っており、1981年にはイラク、2007年にはシリアの原子炉を空爆によって破壊している。イランも核開発への意欲を隠そうとしなかったため、09年頃にイスラエルのネタニヤフ首相(当時)は、イラン空爆計画の検討を軍部(IDF)やモサドに命じている。

 ただしイラクやシリアと違って、イランはイスラエルから距離があるため、複数国の領空を通過しなければならない。さらに空爆に備えて岩山の地下に核開発施設を建設し、それをソ連製の対空ミサイルで守るという徹底した防御策を講じていた。そして最大の問題はイランの背後にいるロシアの存在であり、ロシアの介入を考えると容易には手を出せなかったため、その対応はモサドに一任されることになった。

 モサドの想定では、イランは当初15年までに核武装すると予想されていたため、モサドの取りうる手段は、秘密工作によって核開発までの時期をできるだけ先に延ばすことであった。07年1月、イラン人物理学者のホセインプール博士がイスファーハンの核技術研究所で殺害されたのを端緒に、イラン国内では次々に核物理学者が亡くなる事案が続いた。

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