2024年12月22日(日)

INTELLIGENCE MIND

2021年4月16日

 
英国のEU離脱に際し、人々は偽情報を信じてしまった。現代ではあまりに情報量が多すぎて、人々は真実ではなく自分の考えに近い情報のみを選別するようになる (BLOOMBERG/GETTYIMAGES)

 日本人にとって「インテリジェンス」という言葉はあまり馴染みがないかもしれないが、諸外国では国家の情報組織や機密の意味でよく使用される。元々、インテリジェンスは「知性」を意味しており、これが政治や外交の分野で使われると、「国家による情報活動」の意味となる。日本では昔から「諜報」という言葉で理解されているが、これだとスパイ活動に限定されてしまう。インテリジェンスの概念は多岐にわたるため、本連載を通じて、歴史や諸外国の事例など様々な視点から紐解いていきたい。

 インテリジェンスには単に「情報」という意味もある。普通、情報を英訳すると「インフォメーション」という言葉になるが、こちらの情報はデータや生情報を指す。それに対してインテリジェンスの「情報」は、「評価・分析が加えられた判断・決定のための情報」という意味を内包している。日本の報道では外国の高官が「インテリジェンス」と発言したものを「インテリジェンス情報」と訳すこともあり、翻訳に苦心している様子が窺える。

 わかりやすく天気予報で言えば、気圧配置や風向きといったデータがインフォメーションの情報となる。気象予報士はこれらのデータから明日の天気予報や降水確率をはじき出し、我々に示してくれる。これがインテリジェンスの「情報」だ。もし出かける予定があるならば、我々は天気予報というインテリジェンスによって、服装や傘の必要性などを決定する。気圧配置や風向きのデータに頼るようなことはしないだろう。

 我々は日々、ネットを通じて莫大な量のインフォメーションやインテリジェンスに直接接している。ここで難しいのは、訓練を受けていない一般人が情報を扱うことだ。特にネット上の情報は多すぎて判断が難しく、フェイクのニュースや画像などはさらに見極めが難しい。

 私自身も、2017年1月のトランプ米大統領(当時)の就任演説の写真だとしてアップされた、閑散とした連邦議会前広場の写真を見て「新大統領は人気がない」という印象を持った。だが、あとでフェイク画像と知って、自身が専門の国際政治の分野でも騙されるのだと実感した。

 誤った情報が国民に浸透し、政治の大局に影響を及ぼすことも生じている。典型的なのは16年、英国の欧州連合(EU)からの離脱に関する国民投票だ。

 英国の世論調査会社「ユーガブ」によると、英国がEUから完全離脱する直前、昨年12月の段階で離脱の選択が「正しかった」と答えた英国民の割合は40%、「誤りだった」と答えたのが49%となっている。これは一度だけの数字ではなく、ここ最近は「誤りだった」と答える割合が常に「正しかった」を上回っていた。今や多くの英国民がその選択に後悔しているということではないだろうか。

英国国民の誤信
「ポスト真実」の難しさ

 問題はなぜ16年の段階で過半数の国民が離脱を支持したのか、ということだ。これは当時、多くの偽情報が流布された影響が大きい。例えば「英国はEUに毎週約480億円もの拠出金を支払っており、離脱すれば払う必要がなくなる」といった主張が広まったが、後になって偽情報だったことが判明している。ただし当時これを確認しようとしても情報量が多すぎて、正しい情報に基づいた判断をすることができなかったようである。

 そうなると人々は真実ではなく、自分の考えに近い情報や感情に訴えかける情報を選別するようになる。これが「ポスト真実」といわれる現象だ。記者やアナリストなど、日々の仕事でデータ分析を行っているごく一部を除くと、大多数の人々にとってネット上から自分の必要とする「正しい」情報を取捨選択するのが極めて難しくなっている。

 これに拍車をかけるのが世界各国の情報機関が行うプロパガンダや情報操作工作だろう。特にロシアの情報機関はこの手の工作を得意としており、偽情報を広めることで他国民を誘導する有様から「誘導工作」や「影響力工作」と呼ばれている。

 20年の米大統領選でも中露の介入があったのではないかとして、現在、米国のインテリジェンスの要である国家情報長官室(DNI)が調査レポートを作成中だ。いずれにしても国の情報機関はネットを通じて、相手国の国民に影響を与えるようになってきたため、個人であってもフェイクニュースと真実を判断することが個々に求められている。

 さらに最近では民間企業も国家のインテリジェンス活動の対象となっている。以前であれば民間企業の有する技術情報やデータを欲するのはそのライバル企業であることが多かったが、今や国家がそれを欲しているのである。人工知能(AI)やドローンなど、最先端技術の多くの分野では民事と軍用の境目が曖昧(デュアル・ユース)となり、米中両国は、先端技術で後れを取れば、それは民間のみならず、安全保障上の不利益をも生じさせるという認識だ。昨今のファーウェイ(華為技術)社を巡る米中の確執はその典型だろう。

自社HPの異変に
即座に対応できるか?

 このような米中間の争いはエコノミック・ステイトクラフト(経済安全保障)の様相を呈している。民間企業の持つ様々な技術や情報は国家の安全保障政策に取り込まれることになるため、今後は民間企業といえども国家の情報収集の標的になり続ける。これまで民間企業は自らの利益を極大化していくことに専念していれば良かったが、これからは国家の安全保障政策にも配慮せざるを得ない。

 少なくとも米中では安全保障は経済に優先するという考えであるし、企業の側もそれを理解しなくてはいけない。このような潮流に対して、昨年10月、三菱電機が経済安全保障統括室を設置して話題を集めた。同室は米中の政治的リスクや国際ルールの変更をチェックしていくための組織である。これからの時代、自社のホームページに何らかの異変があれば、まずは外国政府勢力によるサイバー攻撃や情報窃盗の可能性を疑うようなリスク感覚が求められているのだ。

 このように個人や民間企業であっても、国家のインテリジェンス活動とは無縁ではいられなくなってきている。そのような時代に向けて今一度、国家インテリジェンスの本質について考える時が来ているのではないだろうか。

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PART 4  「援〝習〟ルート」貫くも対中避けるミャンマーのしたたかさ  
PART 5     経済か安全保障か 狭間で揺れるスリランカの活路       
PART 6    「中欧班列」による繁栄の陰で中国進出への恐れが増すカザフ
COLUMN   コロナ特需 とともに終わる? 中欧班列が夢から覚める日
PART 7      一帯一路の旗艦〝中パ経済回廊〟
PART 8     重み増すアフリカの対中債務
PART 9     変わるEUの中国観 
PART10    中国への対抗心にとらわれず「日本型援助」の強みを見出せ

  
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◆Wedge2021年4月号より


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