2024年12月2日(月)

WEDGE REPORT

2021年3月24日

中国南部広西チワン族自治区からミャンマーまで続くパイプラインの建設現場(2013年) (IMAGINECHINA/JIJI)

 アウン・サン・スー・チー国家顧問など国民民主連盟(NLD)幹部を拘束した2月1日の政変から2カ月近くが過ぎた。収まることのない連日のデモに国軍や警察が発砲し、3月21日時点で250人以上の死者が出た。米バイデン政権は制裁の度合いを強め、欧州連合(EU)も国軍のミン・アウン・フライン総司令官ら11人への渡航禁止と資産凍結といった制裁を承認した。国連安全保障理事会は「平和的なデモ隊に対する暴力を強く非難する」とした議長声明を全会一致で採択し、軍への自制を求めた。

 しかしながら、ミャンマーの孤立は中国への接近をより一層強めかねない。というのも、ミャンマーは中国にとっての地政学的な要衝であり、約3年余りにわたり、習近平政権は中国ミャンマー経済回廊(CMEC)実現のため、スー・チー政権に、再三のラブコールを送ってきたのである。

インド洋から中国までを貫く
「援〝習〟ルート」

 CMECは、中国南部・雲南省の昆明とミャンマー最大の経済都市ヤンゴン、そして西部のラカイン州チャオピューを高速鉄道と高速道路で結ぶ構想である。これは17年12月に、スー・チー国家顧問の北京訪問の折、習近平国家主席との間で合意された。

(出所)筆者資料を基にウェッジ作成 写真を拡大

 まず、昆明からミャンマー第2の都市マンダレーを経てヤンゴンを結ぶルートは、中国ミャンマー貿易の最重要ルートである。ミャンマーにとって中国は輸出入とも最大の貿易相手国であるが、同ルートを用いた輸出と輸入はミャンマー全体の約2~3割と約1割をそれぞれ占める。10年まで続いたスー・チー氏軟禁などを理由とした経済制裁下で、欧米諸国との貿易が閉ざされる中、この国境貿易ルートが、タイとの国境貿易とともに、ミャンマー経済の屋台骨を支えてきたといっても過言ではない。歴史を紐解けば、元々このルートは、当時ミャンマーを植民地支配していた英国が、日中戦争下で重慶に拠点を置く蒋介石率いる中国国民党政府を支援するために建設された〝援蒋ルート〟であった。

 そして特に重要なのが、もう一方の沿海都市チャオピューから延びるルートだ。チャオピューには、インド洋と中国とを結ぶ天然ガスと原油パイプラインの起点がある。前者はチャオピュー沖のシュエ・ガス田産出の天然ガスを、マンダレー、昆明を経て広西チワン族自治区の貴港まで運ぶ(ミャンマー国内793㌔メートル、中国国内1727㌔メートル)。「一帯一路」構想提唱以前の10年に建設が始まり、14年から輸送開始、18年の実績ベースでミャンマーからの輸入は、中国の天然ガス総輸入の3%を占める。

 後者は中東産原油を、チャオピューで荷揚げした後に同じくマンダレー、昆明を経て重慶まで運ぶ(同771㌔メートル、同1632㌔メートル)。こちらも10年に建設が始まり15年に完成した。だが、脱中国依存の姿勢を示したテイン・セイン政権下で棚上げとなった。輸送が開始されたのは、スー・チー政権発足後の17年で、輸送能力は日量44万バレルで、フル稼働を前提とすると18年の中国の原油総輸入の日量924万バレルの4・8%を占める。ちなみに、同年の中東産原油は中国の原油輸入の約4割を占める。


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