タイは今、歴史的転換点を迎えている。2020年初頭から始まった反体制運動は、8月にはタブーだった王室批判に踏み込んだ。タイの背骨である王室の改革を望む声の高まりは、社会全体の大変革を予感させる。7000社以上の企業が進出し、邦人学校の規模が世界有数を誇る日本にとっても、「対岸の火事」では済まないだろう。
反体制運動の中心は、大学生や中高生などの若年層である。明確な指導者を持たず、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を通じた緩やかな紐帯を保ちながら、各地でそれぞれが運動を展開する。彼らに共通する願いは、国是とされる「タイ式民主主義」の改革であり、ひいては、王室に代表される伝統的権威に物申すことである。
この体制は、国王の信託を得た者が、民衆の幸福のために政治を行うのが良いとする考え方である。既存の特権階級にとっては、タイの民主主義は上から与えられるものであり、選挙で民衆(下)の意見を反映させるものではない。政治で大きな権限を有するのは、任命制の上院や「国王の名によって」判決を下す憲法裁判所であり、いずれも非公選である。神聖で不可侵なる国王は、政治や法を超越して全ての頂点に君臨する。
民衆が国政に意思を示す唯一の機会は下院選挙である。19年の下院選は、クーデターによる軍政樹立から5年、前回の選挙から8年ぶりの、待望の選挙であった。この時大躍進したのが新未来党である。基盤を持たぬ新党ながら、反軍政と民主主義の回復という公約で若者から絶大な支持を得た。政権批判を繰り広げた新未来党は、憲法裁判所から不透明な判決を下され、1年足らずで解党させられた。
新未来党に投票した若者たちは、すぐさま抗議集会を開いた。政府は、新型コロナウイルス感染症を理由に緊急事態宣言を発令、集会の禁止や学校の休校で収束を図ったが、在宅時間が増えた若年層は、タイの政治や歴史をじっくり学び直し、SNSを通じて政治思想や価値観を語り合うようになった。
SNSは、分断されていた階層間の垣根を低くした。彼らは「タイ式民主主義」への疑問を深め、共有していった。それは、民主主義の大前提である選挙を通じて表明した自分たちの意思が、いともたやすく捻りつぶされたことへの怒りでもあった。
禁断の「王室改革」への言及
タイでは、国王が政治・経済・社会の多方面に影響力を持つ。特に、前国王プミポン(在位1946~2016年)の権威は絶大で、積極的なメディア戦略と、広範な人的ネットワークとに支えられていた。前国王は、自身を「慈悲深い」「国民に寄り添う」国王として演出することに注力し、民衆からの敬愛を獲得した。
この敬愛を土台に、1970年代以降、国王は混乱を収める「神の手」として采配を振るった。50年代末に登場した「タイ式民主主義」は、90年代には憲法上でも「国王を元首とする民主主義体制」として明文化され、その政治的権威は確固たるものになった。この体制の特徴は、国王の権力を規定する文言がなく、どこまでも肥大化する可能性を孕んでいた点にある。
しかし、2000年代に民選首相であるタクシンが登場して人気を集めると、逆に国王の権限が制約される可能性が出た。「国王を元首とする民主主義体制」は、国王と首相との双頭制ともいわれ、一方の力が強まれば、他方の力が弱くなる面を持つ。それゆえ、タクシンが06年にクーデターで追放された時、国王の意向の反映だという憶測が飛び交った。絶対的正義とされてきた国王は、初めて政治対立の矢面に立たされた。