ただしこれは学校が対象であり、社会に対してマスクを外す規制行うことはむずかしいと考えて、政府は「個人の判断」としたのだろう。ところが個人にとってもその判断がむずかしい。結局、選択の自由を認めない人からの有形無形の圧力を気にして、着用を続けることが無難という判断になる。
同調圧力を小さくする方法はマスクの効果に対する理解を深めることだが、厚生労働省の対応は文科省とは違う。基本的にはマスク着用は「個人の判断」としつつも、いまだにマスクなしでは自分や家族が感染して重症化するような広報を行い、マスク神話を支え続けている。子どもの体と心の健康のバランスを考える文科省と、感染防止しか考えない厚労省の態度の違いは明確だ。
すると同調圧力を減らすためには別の方法、すなわち感染が収まって、恐怖感が薄れるのを待つしかない。それまでのおそらく半年、1年は、選択の自由を主張することがむずかしい事態が続くことになる。
「世論操作」の検証を
従業員にマスクを着用させるべきか、多くの企業は迷っている。国の方針に従って従業員の選択の自由に任せる企業もあれば、客からのクレームを考えてマスク着用を続ける接客業も少なくない。
そんな中で従業員のマスク着用を止めたホテルがある 。これは強制であり従業員個人の判断と選択の自由を奪うという否定的な意見もあるが、もちろん企業としてはマスク神話を信じる人からの厳しい批判は織り込み済みだろう。この企業の決断は文科省と同じで、社会のあるべき姿を考え、マスク着用のメリットとデメリットを十分に検討した結果であろうと筆者は評価する。
いずれにしろマスク神話を作り出して問題をここまで複雑にしてしまった政府と専門家の世論操作がどの程度の感染対策になったのか、そしてどの程度の社会経済的被害を生じたのかについての公正、中立な立場からの検証が必要である。