多くの国で新型コロナの流行は昨年中にほぼ落ち着き、マスクをはじめとする規制の緩和が続いた。ところが日本だけは大きな7波と8波に襲われて規制が続き、今年に入ってやっと流行のピークを過ぎて、3月からマスク着用は個人の判断に委ねられた。また新型コロナの感染症法上の位置づけが5月から季節性インフルエンザと同じ5類に移行し、すべての規制が解除された。
そこで関心が集まっているのが、マスク着用をどうするのかだ。日本は法律で強制しなかったにもかかわらず、マスク着用率は極めて高い。その理由は、学校給食で生徒にマスクをつけさせたことがマスクに対する違和感をなくしたためという説がある。
そのような土台の上に、流行発生以来マスク着用が急激に増えたのは、政府と専門家による〝誘導〟の結果だ。ワクチンが開発されるまでの感染防止対策は緊急事態宣言しかなかった。そこで国民に外出自粛、三密回避、マスク着用などの個人対策をお願いすることになった。そしてこれに「自主的に」協力させる手段が恐怖感の醸成だった。
連日TV、新聞で感染者数をトップニュースで報道し、専門家が登場して感染の恐ろしさや受け入れ病院の医療崩壊の様子を述べ、感染しても入院できない人の声、後遺症の恐ろしさなどを大きく報道した。その結果、多くの人は自分が今日明日にでも感染して死ぬという恐怖に駆られ、マスクさえすれば感染から逃れられると信じる「マスク神話」が成立したのだ。
筆者はこれをあってはならない世論操作と考える。恐怖感を持たせることは危険回避の本能を刺激することだ。すると感染防止こそが最重要になり、社会経済的な混乱は目に入らない偏った心理状態に陥る。こうして柔軟な思考ができなくなり、マスクを求めて走り回り争奪戦が始まった。
着用しない人を非難するだけでなく、感染者やその治療に当たる医師、看護師、そして家族まで差別した。すべて恐怖が作り出した自己保存のための異常行動である。
規制解除後のマスク着用
こうして作られたマスク神話が継続した理由は、感染の恐怖と、規制と、同調圧力の3つである。このうち「お願い」という名の規制は解除された。また最近は感染が収まり、TVで専門家の姿を見る機会は少なくなった。
それでは恐怖感は小さくなったのだろうか。また規制解除によりマスク着用はどうなったのだろうか。