高山:従前から目を付けられていたのだと思います。天野先生はパナマ湾を一望できる所に住み、かつ写真が趣味で色々なところの写真をとっておられましたから。
中村:天野さんは、そもそもどのようにして南米に旅立ったのですか?
高山:押川春浪(明治の冒険小説家)には騙されたとよく笑っておられました。海外に出かける冒険小説を書いているにもかかわらず、一度も海外に行ったことがなかったという(笑)。
しかし、これは笑い話で、これが無くても天野先生は海外に出ておられたように思います。
渡航資金を貯めるために、横浜の馬車道で饅頭屋を開いたそうです。良い材料を使って味にこだわったと言っておられました。その結果、饅頭屋は大当たり。でも、2年で止めると最初から決めていたそうです。やはり、目的意識の強い人だったのだと思います。
最初に渡ったのはウルグアイです。中村さんもご存知の通り、南米では言葉を喋らないと誰も相手にしてくれません。だから、天野先生は言葉を覚えるために、小学校1年生のクラスに通いました。あの男は何だ? と馬鹿にされたたことを、何度も面白おかしく楽しそうに話されました。
それからパナマに行き、デパートをはじめました。年間の来客数が当時のパナマ市民と同じくらいだったそうです。その後も、エクアドルで製薬、キニーネです。マラリア予防の。チリでは農場、コスタリカでは漁業を成功させました。
中村:ブラジル移民も含めて天野さんが一番の資産家だったと聞きますが本当ですか?
高山:私も中村さんと同じようにブラジルにも暫く居たのでコーヒー園で成功した日系人やアマゾンのピメンタで成功した移住者の方を知っていますが、天野先生の方が桁違いの大富豪家だったと思います。
中村:常人であれば、一つの国で事業が成功したその事業をもっと大きくするなどと考えそうなものですが、天野さんは好奇心が強いと言いますか、気の多い方だったのですかね?
高山:天野先生は「一国一業主義」にこだわって南米各国で事業を成功されたところが非凡であると同時に気が多い人だったかも(笑)
中村:ところで話は少しそれますが(笑)、南米に行った人は総じて好色なタイプが多いように思います。