一貫していた陸軍の選抜基準
志願者数が最も減ったのが23年で、志願者は1172人・採用者は81人であった。しかし、その後軍人志願者は再び増加しはじめ、特に満州事変後はその伸びが飛躍的になり、34年には1万人を突破した。
結局、志願者の数は、戦争とほぼ並行しながら増減していったことがわかる。特に大正後半の軍縮期は激減したのだった。そこで、志願者減少に顕著にあらわれた大正の軍縮期における軍人の社会的地位の低さという問題が出てくる。
1920年代初頭に佐藤鋼次郎という人がヨーロッパ各国軍隊の将校に貴族や富豪の出身が多いことの長所について、日本の将校の生活難と比較しながら次のように言っている。
その生い立ちから社会の上位を占めているからその人格上、自然下士卒から尊敬を受けるし、将校を途中でやめても相当の資産があるから、代議士・府県会議員になったり、会社の重役になったりして、現役を退いてからも将校の体面を汚さないのみならず、相応に社会に貢献している。
このヨーロッパに対して日本では退職後の生活に不安を感じ、現役でいるために点数稼ぎにあくせくしなければならない。結局、日本の将校のみじめさは社会の上層から採用することに勉めなかったからだ。出自よりも能力を優先する日本陸軍が採用した人材養成の近代的性格がかえって問題だというわけである。
言いかえると、選抜基準として英国やドイツなどでは人格・品性が問題とされた時期があったが、日本では一貫して学力のみであった。この点と、昭和前期の陸軍の台頭との関係は極めて興味深い問題といえよう。
ここでは、限られた問題を取り上げたにすぎないが、見られるように著者の問題提起の意義は実に大きい。この方面に関心のある読者は、本書のような本格的研究で知的トレーニングを積んで戦前日本陸軍を考察することを勧めたい。