一方で遅読の価値についても言及する。著者は実用書や取材で使う資料は速読するが、小説を速読することはまずない。なぜなら作品に流れる空気を味わうからだという。
そのための方法論としては、文章のリズムに乗ることや、ページを折ったり、アンダーラインをつけたりすることを示す。遅読にあたっては音読や、感銘を受けた文章の一部を書き写す「抜き書き」も有効だという。
どう本を選び、どう読むか
自分にとって大切な百冊を選ぶ「百冊読書家」になるには、それ以上の読書量が必要となるが、著者は中身を入れ替えながら立派なものにしていくのがいいと説く。その中で著者がこだわるのが本の「物質性」である。
読むという行為は肉体的なものであり、運動に近いという考え方から、手に持って重みがあり、手触りがあるなど「形状の記憶」が本の価値だという。本を読むことの行為について、著者はこう表現する。
衝撃的な一文に出会う。人生を変えてしまうようなシーンに出くわす。その文章を読んだとき、どこにいたのか。バスに乗っていたのか。家のこたつでうつらうつらしながら読んでいたのか。本の、だいたいどのくらいの位置にあったのか。そうした事態を、手で、覚えている。それぞれに大きさも重さも違う本という物体が、記憶を喚起する。それが読書だ。
気になる本を常に自分の周囲において眺め、なで回すのが理想だが、現実にはそうもいかない場合もある。ゆえに著者は本を「借りる」ことについても重視し、図書館を徹底活用するべしという主張は参考になる。
中でも一年前の新聞書評を調べて、現時点で読むに値する本かどうかを判定することなどは、本を評価する手法として有効だという。そうした本は、発刊から時間を経ているがゆえに図書館でも借りやすいという利点がある。著者はこう示す。
一年前の書評本が古くなっているかというと、そんなことはない。志のある本は、何十年、何百年と読み継がれることを願って作られる。作り手の熱を帯びた書物。それが、発売から一年経ったからといって色あせるようなことはない。
書評でピントきたが、実物を読むとそうでない場合はすぐに返却し、通読しないまでも感銘をうけた部分があれば、気になった部分だけ数ページ分をコピーして保存するという著者の実践する方法も参考になる。