サイバー空間の権力論

2013年9月21日

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塚越健司 (つかごし・けんじ)

拓殖大学非常勤講師

1984年生。専攻は情報社会学、社会哲学。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)、共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、など。TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』火曜ニュースクリップ担当としてレギュラー出演中(http://www.tbsradio.jp/dc/)。

 誰でも程度の差はあれ、軽い気持ちで「悪いこと」を行った経験はあるはず。おそらく、昔から今回と同様の行為を行う者はいただろう(無論、そうした行為は端的に「悪い」行いであり、許されるものではないことを断っておく)。ただし、SNSが流行する前なら、友人達だけで写真をメールに添付していただろうし、あるいは写真がない時代であれば、その場で笑いあったことだろう。

 とすれば、事件は何も今にはじまったことではない。問題は、店舗の片隅で行われ、数人の仲間にだけ共有されていたものが、世界中に公開されるというSNSの構造によって露呈したことにある。そして彼らには、端的にそうした構造を認識するネットリテラシーが欠如していたことが挙げられる。少しでもインターネットの構造を理解していれば、Twitterで見知らぬ他人に投稿内容を見られることはわかるはずだ。

集団主義的倫理
――内輪のノリが優先される

 ただ、筆者はより根本的な問題を今回の事件に見る。「内輪ルールの優位性」である。事件が報道されていても、彼らはおそらくネットのニュースをあまり見ていないか、あるいは知っていても事の重大さに気づかなかったために、内輪の「武勇伝」として事件を起こしている(こうした点については次のサイトが参考になる 「何故炎上し退学や賠償請求される事案が増えても、ネットでの犯罪自慢やバカ晒し写真事件は繰り返されるのか?」 http://togetter.com/li/554522)。

 次に内輪ルールの徹底は、「本心としては悪いとわかっていても」あるいはわかっていても、みんながやっていることだから自分もすべきだ、という感覚に陥る問題がある。何かをきっかけに悪ふざけがその度合いを増すと、その暴走は止まらず、悪いという感覚が薄れていく。それは山本七平が『空気の研究』の中で述べたように、太平洋戦争時における会議では、日本がアメリカに負けるとわかっていてもそうとは言えない空気が上層部に充満していたことを連想させる。彼らもまた、自分としての判断はあったものの、「内輪」のルールが先行し、負けるという冷静な判断を誰一人述べられず、次第に感覚が麻痺していく。このように、集団主義において優先されるルールが暴走した結果が今回の事件の背景にある。

日本人は「信頼」より「安心」重視

 従来、こうした内輪のルールを優先してしまう集団主義的な行動は日本人に特徴的なものだと言われてきた。しかし、社会心理学者の山岸俊男によれば、そうした特徴はあくまで特定の環境要因の結果であるという。

 日本人は戦前も、とりわけ戦後は自らが築き上げてきた分厚い社会的・経済的システムに守られ、システムを維持するための集団主義的倫理=内輪ルールの優位性の上で「安心」を享受していた。例えば、顔見知りだけで構成されている共同体内部では、相互監視によって悪事が不可能だからこそ家に鍵を掛けることもない。会社でも付き合いを重視するために口約束で契約が成立する。これは個人を「信頼」しなくとも、他人が期待はずれの行動を取らなくなるために、自動的につくりあげられた「安心」というシステムなのだ。

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