バルセロナの事例から学ぶ
海外で有名なオーバーツーリズムの事例の一つはスペイン・バルセロナ市であろう。人口約161万人の同市の観光の売りは元々ビーチリゾートであったが、1992年のバルセロナオリンピック以前は港湾機能の低下等により経済が低迷していた。オリンピックが開催されたのを機に、バルセロナ市と商工会議所が連携した専門組織バルセロナ観光局(Barcelona Toursime)を94年に設立し、観光都市として発展するために二次交通の整備等の必要なインフラを整備し、データに基づくマーケティングを強化した。
結果、バルセロナはスペインで観光客が最も多い都市になり、その手法はバルセロナモデルとして高い評価を得た。1990年当時173万人だった宿泊客数が2000年に300万人を超え、05年には565万人とわずか15年で3倍強に増加、16年には906万人となった。ただ、これはホテルに宿泊した人数で、民泊が増加したため、国連世界観光機関(UNWTO)は実際の宿泊客は1600万人と推計する。さらに、観光客数で見ると16年にバルセロナを訪問した観光客は3200万人。18年の訪日インバウンド客数が3119万人なので、膨大な数になっていたことがわかるだろう。
欧州でこうした観光客急増が起きた背景として、輸送コストの低下が挙げられる。デジタルの進化による個人間の宿泊レンタルも大きな影響を与えた。バルセロナでは17年に7万2000泊のホテル宿泊があったが、民泊仲介サービスのAirbnbは市とその周辺地域で1万7369軒の賃貸を提供した。
こうして急激な観光客増により交通渋滞、混雑、マナー違反等の問題が生じ、07年ごろから観光客や観光事業者への住民の不満が高まった。冒頭に述べたDoxeyモデルで言えば1992年から2007年の15年ほどで第1段階から第3段階に進んだのだ。
バルセロナの中心部はカタルーニャ人にとって特に高価な居住エリアとなった。多くの外国人がそこに別荘を取得し、人口構造が大きく変化し、平均家賃が上昇した。16年以降、労働者階級が住んでいたバルセロネータ地区の住民は、高級セカンドハウスや季節賃貸用の大型アパートへの道を作るために郊外へと押しやられた。この現象は「ジェントリフィケーション」と呼ばれる。
ジェントリフィケーションは、住宅や商業地としての機能を持った地域(多くの場合はその主体が比較的低所得の住民である地域)が、再編成されることで「紳士化」、つまり相対的に価値を向上させることを指す。ジェントリフィケーションは都市の中でも最も観光客の目に触れさせたくない、あるいは観光客自身も目を向けたくないと思うような地区の価値を向上させるので、これまでは肯定的に捉えられる場合が多かった。しかしバルセロナでは、ジェントリフィケーションの加速により住民が移転を余儀なくされ商業構成までもが再編されたことで、都市の市場価値の上昇の一方で、空間と経済活動が空洞化するネガティブな面が大きくなったのだ。