2024年11月22日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2024年2月3日

 この考え方をダイエットに応用し、GI値が60以下の食品を選んで食べて血糖値の上昇を抑え、肥満を防いで糖尿病も予防するのが低インシュリンダイエット。東京大学で肥満と代謝を研究したという永田孝行が『低インシュリンダイエット――ちゃんと食べてしっかり痩せる』(新星出版社)で提唱すると、瞬く間に注目されてブームになった。著者は一躍ときの人となり、翌年までに関連書籍を約30冊も出すほどのブームが起こった。

 しかし、このGI値が実に厄介。まず、カロリーとの因果関係はなく、高カロリーの生クリームは39、バターが30と低い。また、野菜のニンジンが80と高く、65のスパゲッティを上回ったり、塩せんべいが89でプリンが52だったりとフェイントが多く、つねにGI値表を携帯して調べなければならず、面倒なのが欠点だった。

糖尿病の治療食としてスタートした糖質制限

 インシュリンダイエットのGI値を調べる手間を解消し、なおかつだれもがわかりやすくて魅力的な理屈をひっさげ、登場したのが糖質制限である。

 もともとは漢方医学を併用した糖尿病治療を行ってきた内科医の江部康二が提唱し、体系化した食事療法だった。自身も発症した糖尿病と肥満をこれで克服し、治療した糖尿病患者のほとんどが劇的に改善したというめざましい効果とノウハウ、これまでの糖尿病食の欠点、ダイエットにも効果的なことを『主食を抜けば糖尿病は良くなる!』(東洋経済新報社)にまとめ、2005年に出版した。

 たちまち糖尿病患者のあいだに普及したが、一般に知られるようになったのは、小説家の宮本輝が20年も患っていた糖尿病が糖質制限で寛解したことを公表した09年からだった。

 従来の糖尿病食は、カロリー制限が主体である。父方の親類の大半が糖尿病で、予備軍を自覚していた宮本は30代後半からカロリーの高い食事は控えていたにもかかわらず、43歳で発症。以降、いっそうストイックに食生活をコントロールし、主治医の言い付け通り炭水化物60%、脂質20%、たんぱく質20%の糖尿病食を守り続けてきた。

 ところが61歳になった08年、急激に悪化してこのままではインスリン注射しかないと途方にくれていたとき、作家仲間から「薬も飲まず、インスリンも打たず、好きなものを食べて、お酒も飲んで、完璧に糖尿病を制御できる方法がある」と江部の糖質制限を教えられた。

 お米が命の典型的日本人の自分にはたしてできるのか、そもそも医学的に正しいのか疑った宮本は、江部のブログにすべて目を通し、人類の歴史をたどりながら説き明かしていく糖質を制限すべき理由に納得し、これなら信頼できると確信したという。そう、糖質制限のセオリーが人類史や文明論を大きく典拠とするところが、ほかのダイエットと大きく違い、ダイエットに興味のない人も魅せられてしまう理由なのである。

 最初の3日は、夕食だけ主食を抜くだけで1.5キロ減。4日目からは3食とも主食を抜いた。開始して10日ほどすると、糖質が入ってこなくなったせいで体が戸惑っている感覚と、お好み焼きやきつねうどんが頭に浮かぶ糖質渇望状態に襲われた。

 が、たちどころに効果が出て、血糖値と中性脂肪がみるみる落ちた。それ以降は体が軽くなり、1年半で血糖値は正常になり、体重は8キロ減って、そこで安定した。

 宮本は、ひたすら炭水化物を欲したのは一種の禁断症状で、人類は糖質に中毒していることを我が身で実感したとふり返っている。この「糖質中毒」も、糖質を制限する重要性を説明するときの重要なキーワードになる。

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