2024年11月22日(金)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2013年11月11日

 彼ほど頑固な男はかつて見たことがない。バグダッドはプライドが高く、いったん口に出したことは絶対実行するといった技術者魂を持っていた。バグダッドは何が何でも約束を守ることを信条にしていた。約束は必ず守るから安請け合いは絶対にしない男だった。

 付き合いが深まるに連れて私は腹を割って付き合ったが、彼は一切の本音を話すことはなかった。徹底した秘密主義であった。彼の部下たちに対しても工場の経営状態などは箝口令を敷いていた。私にしてみれば3カ月に1回は、需要家と共に工場訪問をするのだから、現場に入れば工場の状況はおのずと分かるものである。時々、彼のダーチャに招待してくれたが、ウオッカを飲みながら2人で打ち解けていても、彼が背負っている悩みを打ち明けることはなかった。

 旧ソ連崩壊の時期には、1000%以上のハイパーインフレがカザフを襲った。そんな異常事態の時に、バグダッドが「チタン原料を安定確保するために800万ドルが必要だが、あと320万ドルが不足しているから融資して欲しい」と切り出した。よほど困っているのは目を見れば分かった。

 専門的な説明は省くが、旧ソ連の崩壊のためにウクライナからの良質のチタン鉱石が入荷難になり、自前の溶鉱炉の投資が必要になったのだ。私としては安定供給が不可欠であり、日本の需要家に融資の可能性を打診したが、いかんせん建国後たった3年目のカザフに投融資を検討することはあり得なかった。そこで蝶理(当時の筆者の会社)の投融資委員会を通じて役員会に計った。当然のことながら全役員が反対をしたが、社長1人が条件付きで方針稟議を通してくれた。その条件とはカザフの国家保証を取るというものだった。

 1週間後にはバグダッドに膝詰め談判をするためにカザフに向かった。ただし、国家経済が破綻しているカザフの国家保証を取ることはほぼ不可能な話であった。ところが、バグダッドはその不可能を可能にしたのだ。カザフスタンの建国以来最初で最後の国家保証を現実のものにしたのは、わずか1カ月後のであった。彼は首相の直筆の保証書を入手してきたのである。

 320万ドルの融資が実行された時にはカザフと中国の国境に近いザイサン湖の湖岸で大草原にユルタ(モンゴルのパオと同じ)を設営して大宴会を行った。多くの政府関係者も参加していた。軍用の大型ヘリコプターを3機も仕立てて現地に向かった。大平原には真っ白のユルタが青空に映えて実に眩しかった。


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