その日の参加者は30代から40代が多く、外見上は女性の参加者が半数を超える。男女比はたまたまなのか、あるいは男性は兵役があるため、民間提供のトレーニングには女性が多いということかもしれない。
台湾市民社会の多様な取組み
黒熊学院が台湾社会の情報リテラシー向上に貢献していることは間違いないが、当然、黒熊学院が全てではない。台湾が情報操作に対して高いレジリエンスを構築できているのは、数多くの市民団体や民間セクターが偽情報・不確実情報や中国からの影響工作への対処に取り組んでいるからだ。
非営利のファクトチェック機関としては「台湾事実査核中心(Taiwan FactCheck Center)」や「MyGoPen」がプラットフォーマやメディアと連携しながら、事実の検証結果を市民に届ける。こうしたファクトチェック機関はインターネット上の公開情報のみならず、そのネットワークを駆使して、画像解析、気象学、建築学、臨床医学等のありとあらゆる専門家に素早く事実を確認する。当然、そうした事実検証は台湾内にとどまらないこともある(実際、筆者も東京電力福島第一原子力発電所の多核種除去設備(ALPS)処理水に関する偽情報の照会を受けたことがあるが、残念ながら役に立つ回答はできなかった)。
台湾で圧倒的な利用率を誇るLINEを経由したプログラムないしアプリケーションも重要だ。LINEユーザーが不審に感じた情報や動画、アカウントは、TFCや「美玉姨(Auntie Meiyu)」のチャットボット、クラウドベースのプログラム「Cofacts」にきけば、回答してくる。過去に検証したものであれば、自動で検証結果を得ることができるし、新たな不確実情報についてはCofactsでは2000人を超えるボランティアが対応する。
個別の不確実情報の検証のみならず、市民の情報リテラシー全般の向上に資するのが、前述の「黒熊学院」やボランティアを中心に偽情報の注意喚起を行う「假新聞清潔劑(Fake News Cleaner)」である。
情報操作に強い社会には、そもそも情報空間で何が起きているのか、といった状況監視・分析能力が不可欠だ。「台湾資通環境研究中心(Taiwan Information Environment Research Center: IORG)」や「台湾人工智慧実験室(Taiwan AI Labs)」はAIを含めて最新のテクノロジーを用いて、リアルタイムに近い監視を行う。
台湾AIラボの創設者の杜奕瑾氏は、台湾最大のオンライン掲示板「PTT(批踢踢)」の設立者でもある。「台湾民主実験室(Double Think Lab)」は台湾の選挙に関するデジタル影響工作の分析や諸外国の「中国影響力指数」を公開している。
中国の軍や情報機関に紐づく「高度で持続的な脅威(APT)」アクターによる情報戦の最前線にいるのは、アジア屈指のサイバーセキュリティ企業「チームT5(TeamT5、杜浦數位安全)」だ。大陸と対峙する地政学的環境や言語の共通性から、米欧系のセキュリティ会社とは異なる蓄積や専門性を有する。
まとめると、台湾社会は総体として、情報空間全体の状況監視と分析、影響力の大きい偽・不確実情報の検証、LINEユーザ向けの「目安箱」、市民のリテラシー向上といった機能を構築している。
事実検証に似た機能として、ここ数年、ファクトチェック関係者が度々言及する「デバンキング(debunking)」も重要だ。これは「事前暴露」とも呼ばれ、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発症や重篤化をワクチンによって抑制しうるように、偽情報が拡散する前に、「〇〇は偽情報だ」という情報を事前に〝接種〟することで、偽情報の受容や拡散を抑制できるという考え方に基づく。
ロシアによるウクライナ侵攻の危機が高まる中、バイデン政権は機密相当のインテリジェンスを公開することで、探知と暴露によってロシアの行動を抑止し、国際社会における情報戦に対処しようとした。これも「デバンキング」の一種とされる。