主人公が抱いた虚無感の根源
さて、結局柴田は、虚無に満ちた主人公、眠狂四郎を造形することによって人気作家となったのだが、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて人気のあった大衆時代小説の主人公の虚無感というものはどこからきたのか。
柴田は、バシー海峡で漂っていた時に、体が頑強であったたくましい体型の兵士の方が故郷や父母のことなどを思って苦しむため、余計に体力を消耗してどこかへ流れ去って死んでいった、それに対して自分は全くの虚無状態になっていたからこそ、生きることができたのだと書いている。
そしてそれができたのは、つとに愛読したリラダンらの虚無思想によって体力の消耗を最小限に食い止めることができたからだという。これは意外なことで、眠の虚無思想は西欧文学からきたということなのか。
ただ別の箇所で、柴田は体力が尽きそうになった時、空を仰いで誦したのは、宋の曽子固の「虞美人草の詩」という漢詩であったと書いている。そうするとやはり眠の虚無感は東洋的な起源なのか。
いや、これは短絡的にすぎるだろう。柴田は小説のモデルの件で、暴力団のチンピラが応接室ですごんで短刀を抜いた時に、恐怖感が全く起きず、あの海原で浮いていた自分を思い出し、相手の素行が滑稽なものに見えて笑い出したという。
だからといって、バシー海峡の経験が眠を作り出したかというと、ニヒルなアウトローを主人公とする作家は他に何人もいるから、それがなくても眠を送り出し得たかもしれないともいう。こうして、生死をさ迷った体験も大した意義がないのであれば、人間は生き方について、妙にもったいぶった理屈をつける必要はないのではないかと思い至ったという。
この方がかえってニヒルだが何かヒューマンでもある。また、これは高度経済成長期に愛された柴田の小説『図々しい奴』の庶民的主人公に通ずるところもあるといえよう。戦中派の虚無感とさらには高度経済成長期の心性についてまで考えさせられるところがポイントになる書物である。