もう1つは習が権力の集中を図っていることである。経済運営の権力も掌握して、権力基盤を強化しようということだが、その背景が習の権力基盤が弱いため権力を集中しているのか、それともすでに権力基盤が強いから権力のさらなる集中ができるのか。その判断は難しい。いずれにしても、習が権力を独占する強い指導者を目指しているのではないかと思えるのである。
「調和」への言及は党内融和への配慮
この「決定」のうち改革を進めるという点で、もう1つ特に注目するのは、「調和」(中国語で「和諧」)に6回も言及していることである。「調和」は胡の代名詞であり、総書記就任以降の習は意識的と思われるほど「調和」に言及してこなかった。それが、「決定」で「調和」に6回も言及したのには違和感がある。もちろん、民生重視ゆえに「調和」を多用したのは当然で、深読みしすぎなのかもしれない。他方、習の説明では「調和」に1回しか言及していないことは、習の胡へのスタンスに変化はない。
それでは、なぜ「決定」では「調和」に6度も言及したのだろうか。胡の影響力が強まっているという状況は観察できない。しかし、習の強引な権力集中の動きに対する党中央内の反発を示唆する動きは観察されている。「党の大衆路線教育実践活動」の政治キャンペーンへの他の中央政治局常務委員の消極的態度や、中央政治局でこれも胡の代名詞である「科学的発展観」の学習綱領が採択されたことは、アンチ習の動きともとれる。
習近平は強い指導者を目指しているのか
今回の「決定」で「調和」に6度も言及することを習が認めたのは党内融和を内外に示すためではないか。他方、権力を集中させている。それらは、単に自身の権力欲だけでなく、本当に党の存続の危機に直面し、強い指導者にならなければという使命感が習にはあるのかもしれない。そんなことを少し感じている。
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