前回の記事「〈衝撃体験〉ロシア入国時に私を待っていた10時間の取り調べ!丸裸にされるスマホ、パソコン、持ち物…保安局係官は何を念入りに調べたか?」で報告したとおり、6年振りにロシア渡航を敢行したところ、入国に10時間以上の時間を要し、難儀な思いをした。
さすがに「10時間超え」は想像のはるか上であったが、リスクはあらかじめ覚悟していた。それでも、ロシアへ行きたいと思ったのは、やはり「特別軍事作戦」(ロシアにおけるウクライナ侵攻の呼び名)を続ける今のロシアを、自分の目で見てみたかったからである。とりわけ、この軍事作戦が一般のロシア国民からどのように受け止められているかを観察することが、最大の目的だった。
ロシア極東・シベリアの5都市を周遊し見えてきたのは、2つの戦争に対する現下ロシアの両極端な態度である。80年前の第二次世界大戦については、まるで昨日のことのように、盛大に語り継いでいる。それとは対照的に、今この瞬間も自国の青年が戦場で命を落としているであろうウクライナでの戦争については、奇妙な沈黙を貫いているのである。
「大祖国戦争」という名の国家宗教
かつてのソ連は、自らが勝利した第二次世界大戦におけるナチス・ドイツとの激闘を「大祖国戦争」と名付けた。「我が国は、甚大な被害を出しながら、ナチス・ドイツを倒し、人類を魔の手から救った」という神話が、社会主義時代に確立された。
その神話はプーチン体制によって増幅され、さながら国家宗教のようになっている。ロシアにとり、本年2025年は偉大なる勝利から80周年という節目であった。
ロシアの各都市には、大祖国戦争の戦没者を悼む立派な慰霊碑が設けられている。それに加え、今年は80周年ということで、その偉業を称える看板などが街のそこかしこに掲げられていた(冒頭写真参照)。
ちなみに、日本では「1945年8月15日をもって戦争は終わった」というイメージが強いと思うが、現実には同年8月8日に対日参戦したソ連は、15日以降も日本への攻撃を続けた。ソ連軍による攻撃は日本と連合国が降伏文書へ調印した9月2日後も続き、ソ連軍が一方的な戦闘をようやく停止したのは9月5日のことであった。なお、中国やロシアは9月3日を対日戦勝記念日に制定している。
ロシアは、今年5月9日に対独戦勝80周年を盛大に祝賀したのに続き、9月3日には「おかわり」とばかりに対日戦勝80周年を祝い、プーチン大統領は北京での式典および軍事パレードに参加した。筆者はちょうどその時ロシア極東に滞在していたので、居心地の悪い思いをした。
