現地のテレビ番組では、「日本は満州で細菌兵器を開発し、ソ連極東・シベリアへの侵略も計画していた。米国の原爆をもってしても日本の継戦の意志は固く、ソ連の参戦こそが軍国主義日本を降伏に追い込んだのだ」という、何ともロシアに都合の良い勧善懲悪のストーリーが垂れ流されていた。
今回のロシア極東・シベリアの旅で、戦争慰霊碑を何箇所か訪ねてみたが、やはり大祖国戦争の戦没者が圧倒的に英霊として崇め奉られていることが確認できた。ソ連時代のアフガニスタン戦争や、新生ロシア時代のチェチェン戦争の戦没者が祀られているケースはあるが、それらの戦争はロシアにとって栄光ではなく、むしろ苦い記憶なので、どうしても扱いは控え目となる。それでも、国のために散った命として、大事にはされているのだなと感じた。
それとはまったく対照的に、現在進行形の「特別軍事作戦」については、その犠牲者が一般ロシア国民向けに可視化されることは、ほぼないと言っていい。ウクライナでは首都キーウの独立広場に犠牲者を悼む無数の国旗が掲げられているが、ロシアはそれとは正反対である。
例外的なブリヤート共和国
ただし、今回筆者が滞在した街の中でも、ウランウデ市は、少々雰囲気が違った。ウランウデはブリヤート共和国の首都で、ブリヤート人は仏教を信奉するモンゴル系少数民族である。
プーチン政権は、モスクワなど大都市のロシア市民にはなるべく戦争の影を感じさせない政策を採っており、ウクライナ侵攻の従軍者はシベリア・極東をはじめとする辺境・貧困地域、少数民族地域から集中的にリクルートしている。ブリヤート共和国はその典型例で、グラフに見るとおり、人口当たりの戦没者数が、80以上あるロシア全地域の中で2番目に多いのだ。
ウランウデの「ブリヤート博物館」では、「粘り強さ、忠誠、勇気」と題し、特別軍事作戦に関する企画展が開催されていた。共和国当局は、自地域が払っている人的犠牲を敢えて取り上げることで、お国への貢献をアピールしているのではないかという印象であった。
ウランウデの郊外に、特別軍事作戦の戦没者を顕彰する記念碑があるということだったので、行ってみた。それで分かったのは、元々この場所には地元出身の大祖国戦争戦没者を称える記念碑があり、そこに今般の特別軍事作戦の戦死者が加えられたらしいということだった。ウクライナで命を落とした十数名の写真が掲げられていたが、職業軍人に加え、2022年秋に動員された者、ワグネルやアフマト特殊部隊に加わった者など、素性はまちまちであった。
この記念碑の近くで、地元住民らが酒盛りをしていた。その一人が、写真撮影をしていた筆者に近寄ってきたので、てっきり「外国人が神聖な慰霊碑を写すな!」と怒られるのだろうと身構えた。ところが、その住民が言ってきたのは、「タバコがあったら、くれ」ということだった。運転手の解説によると、タバコというのは近寄る口実にすぎず、実際には酒を買うための金をせびるのが目的ということだった。
なるほど、このような救いがたいコミュニティから、ウクライナ戦線に多数の兵士が送り込まれているのかと、合点の行く思いがした。プーチン大統領は22年11月、特別軍事作戦の戦死者の母親らをクレムリンに招いたことがある。その際に、息子を亡くした母親に対し、「ロシアには生きているのかいないのか分からないような者、ウォッカで死んでいく者もおり、その点あなたの息子は立派な目的のために死んだのだ」と言い放った。筆者はプーチンの発言に共感はしないが、今回のウランウデでの体験で、「なるほど、プーチンが言いたかったのは、こういうことなのだな」と、腑に落ちたのである。

