生産は国内企業に委託することとし、回路基板、躯体加工や組立など複数のメーカーに発注している。国内メーカーを選択したのは、品質への信頼だけでなく、「設計変更などにも迅速に対応してもらえる」と踏んだからだ。実際、これまで改良に伴う設計変更は数度あったが、いずれもスムーズに運んだ。
金田は国内での生産にこだわりも、もっている。「モノづくりは国の文化」と考えるからだ。自社の製品もそうだが、部品や資材といったサポーティング分野などを含め「多くの人々が日本の強いモノづくりを支えている」。それを、この国の文化だと見ている。その一翼を担うため、目下のところはこのPlutoステーションを「お客様に喜んでいただき、しっかり支持が得られる製品に育てる」ことに全力を挙げる。「ベンチャーの製品だからこの程度、とは絶対に言われたくない」と、口を一文字に結んだ。
博士となった後の金田と市東の未来をうかがい知ることはできないが、少なくともこの起業経験は2人にとって掛けがえのない人生の肥やしとなるのだろう。(敬称略)
(写真:井上智幸)
■メイキング オブ ヒットメーカー 金田賢哉(かねだ・けんや)さん
Pluto 代表取締役
1987年生まれ
兵庫県西宮市に生まれる。物心がついた頃からモノを作ることが大好きで、身近な廃材などを加工して遊ぶ子供だった。中学、高校は一貫校に入学。物理部に所属するも、部員たちとサッカーで汗を流したのが一番の思い出。
2006年(19歳)
05年、現役で大阪大学工学部に進学するが、思い直して東京大学を受験。理科一類への進学を果たす。モノづくりへの好奇心はジャンルを超え、料理や機械、服や雑貨などあらゆるものを自作するように。特技を生かした服飾制作のアルバイトで、手がけた商品が大量に売れ残った苦い経験が、「お客様が本当に欲していることを具現化したい」という現在の事業ポリシーに繋がっている。家は作業場のような雰囲気で、居心地がよいという。
2010年(23歳)
東京大学大学院工学系研究科に進学、学士課程に引き続き、航空宇宙工学を専攻。この頃、恩師の計らいで事業パートナーである市東拓郎氏らと出会い、機器仕様やサービス展開の構想を膨らませ始める。データ収集から部品調達まで、手探りで奔走する日々。
2011年(24歳)
Pluto設立、事業を本格的に立ち上げる。翌12年末にはPlutoステーションの製品化を実現。自らの生業をサービス業と位置づけ、人々の毎日の暮らしを豊かにするのが夢と語る。
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