「人間は一人では生きていけないので、コミュニティーをつくって力を合わせないといけません。その時には『俺についてこい』というリーダーシップよりも、人を巻き込んでいくキャプテンシップが必要だと思うのです。『お上がなんとかしてくれる』ではなく、『みんな』でやっていく。大げさかもしれませんが、リーダーがいない国が悪いのではなく、国民が新しいリーダーの登場を求めてばかりで、その人に全てを委ねようという他人任せな姿勢でいることに危機感があるんです」
FC今治高校には、岡田と同じように既存の教育に疑義があった教員が集まった。最大の特徴はカリキュラムだ。国語や数学などの必修科目を午前中に学び、午後は学校の外に出て〝町をキャンパスにした教育〟を行う。
例えば、ロープの結び方や火のおこし方などを学ぶ「ヒューマンデベロップメントプログラム」や地元企業とタイアップして生徒が新規顧客の獲得に向けた提案などをする「里山未来創造探究ゼミ」に力を入れる。必修科目を教える教員のほか、こうしたカリキュラムを教える専門の人材をそろえているという。
「例えば、AIやICTが発達し、知識や記憶力、論理思考ではChatGPTが人間を凌ぐかもしれません。だとすれば、人間に必要なのは体験という経験値、知恵、直感からくる感覚的な判断などであり、こうしたものが今後はより大切になると思うのです」
教育は「エラー・アンド・ラーン」
人が育つ〝邪魔〟をしない
学校教育への道を踏み出した岡田が、大切にしている考え方がある。
「僕がよく言うのは、『人を育てるなんておこがましい』ということ。育つ手助けをするのではなく、人が育っていく邪魔をしないことが本質だと思うのです。人の人生を預かるだなんて簡単に言ってはいけない。分からないことに踏み出すのだから、たぶん失敗するんです。でも、失敗から学べばいい。生徒も、先生も、学校も、『エラー・アンド・ラーン』で一緒に成長していきたいと考えています。誰かがやってみないと答えは分からないし、答えが出るまで待っていたら、いつまで経っても動けませんから」
それにしても、なぜ岡田のもとには、こんなにも人が集まるのか。
おそらく、決して驕りを見せず、将来を生きる人々にとって真に必要な教育を追求し、まっすぐな目で、また、自分の言葉でビジョンを語る人柄ゆえだろう。スタジアムの建設や高校の開校は、多くの人との出会いや共感など、可視化できない「価値あるもの」が具現化された賜物ともいえそうだ。
※こちらの記事の全文は「Wedge」2024年6月号で見ることができます。