1998年、サッカーワールドカップに初出場を果たした日本代表。チームを指揮したのが岡田武史だ。指導者、経営者に加えて、教育者として「平成」を見てきた岡田の新たな挑戦とは─。「Wedge」2024年6月号に掲載されている「平成全史 令和の日本再生へ 今こそ知りたい平成全史」記事の内容を一部、限定公開いたします。
岡田武史(Takeshi Okada)今治.夢スポーツ代表取締役会長 FC今治高等学校学園長 1956年、大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、古河電気工業サッカー部(現・ジェフユナイテッド千葉)に入団。ディフェンダーとして日本代表でも活躍。90年に引退後、ドイツへのコーチ留学を経てコンサドーレ札幌、横浜F・マリノス、日本代表などの監督を歴任。2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会ではチームをベスト16に導く。(写真:さとうわたる)
サッカー日本代表の監督も務めていた岡田武史はこの春、新たな挑戦を始めた。4月1日、クラブの名を冠した「FC今治高校・里山校」を開校させたのだ。全国から34人の新入生を迎え、岡田はこの高校の学園長を務める。断っておくが、サッカーを教える学校ではなく、男女共学の一般私立校だ。
岡田は「教育は社会に出る準備期間」と捉えている。その社会が大きく変化しており、これから必要とされる人材も変わっていくはずなのに、教育は過去のまま。これでいいのだろうか─。学校創設前から疑問を抱いていた。
「世界を見渡せば、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイが大雨で洪水状態になったり、パキスタンでは国土の3分の1が浸水したりしています。これまでは考えられなかったことが起こっている。それは日本でも同じです。これからはロールモデルがない時代、過去のデータが通用しない時代になります。若い世代の人たちは、そういう時代を生き抜かなければいけなくなった。日本は物質的に豊かになり、便利で、快適で、安全で、大きな不自由なく生きていける社会になりました。その一方で、こういう社会で『一体いつ人々の遺伝子にスイッチが入るのだろう』と思っていました」
岡田に言わせれば、動乱の時代を生き抜くために必要なのは「簡単に諦めないタフさ」であり、「想定外に対応する適応力」であり、「自ら考え、人を巻き込む主体性」であり、「多様な人を包摂するコミュニティー」である。