2024年7月16日(火)

勝負の分かれ目

2024年5月28日

 サッカー元日本代表の長谷部誠は2023-24シーズンいっぱいで、22年半のプロ現役生活に別れを告げた。今後はキャリア後半の10シーズンを過ごしたドイツのアイントラハト・フランクフルトを活動拠点としながら、サッカー指導者の道を進むことが伝えられている。

 5月24日に都内で行われた引退記者会見において、長谷部は自身ができる限りにおいてベストのキャリアを送ることができたと語り、同時にキャリアにおける各プロセスで味わってきた多くの苦しい時期や経験も、全てその後のキャリアにつながっていることを振り返れば、後悔は全くないと強調する。

長谷部が日本代表キャプテンとして最後のピッチとなったW杯ロシア大会。長谷部のキャプテンシーは脈々と受け継がれている(Etsuo Hara /gettyimages)

 長谷部誠という選手が国内外で築いてきた実績、多くのサッカーファンに与えた感動を1つのコラムに全て詰め込むことはとても難しいので、ここでは2010年から約8年間、三大会のW杯を通して務めてきた日本代表のキャプテンという役割、その中で築き上げられたキャプテン像について紐解いていきたい。

決してリーダーシップのある選手ではなかった

 長谷部が日本代表に初めて選ばれたのは06年1月の代表合宿、そして2月に行われたアメリカ遠征だった。静岡県の藤枝東高校から浦和レッズに加入して5年目を迎えたところで、22歳の誕生日を迎えたばかり。一人のヤングプレーヤーとしてアグレッシブさが目に付く選手ではあったが、当時の姿に後のキャプテンのイメージを重ねることは難しい。

 同年のドイツW杯ではメンバー入りがかなわず、その後の”オシム・ジャパン”でも招集されない時期の方が多かった長谷部にとって、1つの転機が08年、体調に問題が生じた当時のイビチャ・オシム監督に代わり、岡田武史監督の就任したことだった。08年5月のコートジボワール戦で、初出場だった長友佑都とともに輝きを放ち、右サイドから玉田圭司のゴールをアシストして”岡田ジャパン”での主力定着につなげていった。

 中盤ならどこでもこなすポリバレントな選手として、すでに定評はあったが、岡田監督のもとでは遠藤保仁とともに”チームの心臓”と呼ばれるボランチが定位置になっていく。その頃から代表チームの戦力としては重要な存在ではあったが、リーダーシップを強く感じさせるものはほとんど見られなかった。


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