2024年7月16日(火)

キーワードから学ぶアメリカ

2024年7月16日

近年になって高まる副大統領の役割

 米国の副大統領に関して、憲法制定者は必ずしも大きな関心を持っていなかった。アレグザンダー・ハミルトンは『フェデラリスト』の第68篇で副大統領についても言及しているが、その職の基本的な役割について説明していない。初代の副大統領となったジョン・アダムズは、その職を「人類が発明した最も重要性に乏しい公職」だと評したことは知られているかもしれない。

 憲法制定者の間で副大統領に関する関心が低かったことは、副大統領に欠員が生じた場合の補充方法についての規定が置かれていなかったことにも表れている。その方法が定められたのは、ようやく1967年の合衆国憲法修正第25条においてであった。

 副大統領が果たすことを期待されている公式の役割は、以下の二つである。

 一つは、連邦議会上院の議長を務めて、その評決が可否同数となった時に決裁票を投じることである。権力分立が厳格に定められ、行政部門と立法部門の兼職が禁じられている米国において、副大統領はその唯一の例外である。ただ、副大統領が立法部門に大きな影響を与えるのは好ましくないとの判断から、通常上院の審議は議長代行に委ねられ、副大統領が役割を果たすのは決裁票を投じる際に原則として限られる。

 決裁票は1789年から2023年の中頃までに298回しか投じられておらず、その頻度は低いと言えるが、米国の政治・社会の分断が進み、二大政党の勢力が均衡しつつある近年ではその重要性は増している。

 ジョージ・W・ブッシュ政権期のディック・チェイニーは8回決裁票を投じたが、バラク・オバマ政権期のバイデンは一度も機会がなかった。トランプ政権のマイク・ペンスは13回であり、その数は1860年代以降で最多となった。バイデン政権期のハリスはペンスの記録を抜いて、最初の二年半で30回の決選票を投じる機会があった。

 歴代で最高の回数を投じたのは、ジョン・C・カルフーン副大統領が1825年から1832年の8年間で投じた31回だったことを考えると、ハリスが投じた決定票がいかに多いかが理解できるだろう。もっとも、決裁票を投じた法案は必ずしも重要法案に限られないことは、念のために補足しておく必要があるだろう。

大統領職を引き継いできた副大統領

 もう一つの重要な役割は、大統領が死亡などの理由で職務不能になったり、弾劾されたりした場合に、大統領職を継ぐことである。最初の例は、1841年の大統領就任式で風邪をひいて死亡したウィリアム・ヘンリー・ハリソンを継いだジョン・タイラーであったが、これまでの歴史上、大統領職を継いだのは合計9人である。そのうち4人が大統領の病死、4人が暗殺、1人が辞任の後を継いだものである。

 先ほど記したとおり、副大統領が大統領に昇格するなどして欠員が生じた場合に、それを補填するための規定が定められたのは1967年の合衆国憲法修正第25条においてであるが、そこでは、大統領が後任を指名し、連邦議会の上下両院で多数の承認を経て就任することと定められた。なお、これまでの歴史上、大統領選挙を経ることなく大統領となったのは一人だけある。


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