リチャード・ニクソン政権期に、ウォーターゲート事件の関係で副大統領のスピロ・アグニューが辞任し、その後にジェラルド・フォードが副大統領となった。1973年のニクソン辞任に伴って、フォードは大統領選挙の洗礼を浴びていないにもかかわらず、大統領に昇格したのである。なお、そのフォードが副大統領に指名したのはネルソン・ロックフェラーである。
歴史上、副大統領から大統領に昇格して重要な役割を果たした人物としては、セオドア(T)・ローズヴェルトとハリー・トルーマン、リンドン・ジョンソンが知られているだろう。だが、そのうち前二者は、彼らを指名した大統領によって、大きな役割を果たすことが想定されていなかった人物だった。
T・ローズヴェルトは、非常に大きな野心を抱いている危険人物と目されていた。それを危惧した当時の共和党の指導部が、その野心を潰すために、ウィリアム・マッキンリー政権の副大統領に押し込んだのである。だが、マッキンリーが暗殺されたことによって大統領に昇格し、内政面では独占を防ぐためのトラスト征伐、外交ではカリブ海諸国での棍棒外交や日露戦争の終結に向けての仲介など、大きな役割を果たした。
ハリー・トルーマンは、フランクリン(F)・ローズヴェルト政権の三人目の副大統領だったが、政権の重要な会議に参加する機会も与えられていなかった。F・ローズヴェルトが死亡して大統領に昇格した際に、米国に原子爆弾の開発計画があることを初めて知ったほどだった。そのトルーマンが第二次世界大戦終結後の国際秩序を構築する上で主導的な役割を果たすことになるとは、当初誰も予想しなかったであろう。
大統領との関係で変わる役割
以上の二つが副大統領の役割として合衆国憲法に定められていることであり、それ以外についての規定は特段存在しない。大統領選挙に際し、副大統領は、大統領との地理的、イデオロギー的バランスや、人種やジェンダーなどの面を考慮し、また党の団結を維持するという戦略上の観点から選ばれることが多く、積極的な役割を果たすことは必ずしも期待されないことも多い。
だが、副大統領は政権チームの一員であり、大統領が副大統領に役割を委ねれば、副大統領が存在感を示すことが可能になる。副大統領などの政権スタッフが担うことのできる権力の大きさは、大統領との距離の近さによって決まるところがあり、大統領と日常的に交流して信頼関係を築き上げれば、大きな役割りを果たすことようになる。
その初期の例として知られるのが、ドワイト・アイゼンハワー政権期に副大統領を務めたニクソンだろう。アイゼンハワーはニクソンに閣議や国家安全保障会議などに参加するよう求め、アイゼンハワーが体調不良の時にはニクソンが進行役を務めることもあった。アイゼンハワーはニクソンの対外政策における造詣の深さを信頼しており、ソヴィエトのフルシチョフと交渉をする役割を委ねるなどしたとされる。
ジョン・F・ケネディ政権の副大統領だったジョンソンは、連邦議会の上院院内総務としての経験もあったことから、ケネディ大統領から議会との折衝役を期待されていた。ジョンソンはケネディ暗殺後に大統領に昇格し、公民権法や投票権法などを通過させた。
ジミー・カーター大統領とウォルター・モンデール副大統領は、副大統領の役割を制度化する上で重要な役割を果たしたとされる。モンデールは自ら多くのスタッフを抱えることが認められ、カーターの指示に基づいて連邦議会と交渉したり、一般国民に対する広報活動を行ったり、利益集団と折衝したり、大統領の代わりに儀式に参加するなどの役割を果たした。モンデール以後、ロナルド・レーガン政権期のジョージ・H・W・ブッシュ、H・W・ブッシュ政権期のダン・クエールなども、モンデールと同様の役割を果たしたとされる。