2024年7月19日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2024年7月19日

「早生まれ」で学徒出陣を避けられた

 もう一つの確認事項は「早生まれ」である。

 岡本の口癖は、「同期生や仲間の半分が戦死した」というもの。確かに太平洋戦争の犠牲者は大正10年代生まれがもっとも多い。

 典型が44年(昭和19年)10月の出陣学徒壮行会。本来なら彼らの中に岡本もいたはずだ。もしいれば、彼ら同様に南方の海や島々で命を落としたかも知れない。だが線引きから79日遅れの早生まれのせいで生き残ったのだ。

「徴兵が翌年だと南方への船もないから、命拾いした。岡本自身は、早生まれで生き延びたことを知っていたのでしょうか?」

「たぶん気付いていたと思います。作品の中に年齢の数字が頻出します。終戦時に自分は21歳6カ月と、月単位で示しています」

 終戦時に本土で戦車への体当たり攻撃を訓練していた岡本は、その体験を元に自伝的映画『肉弾』(68年公開)を撮ったが、そこでも冒頭に日本人の平均寿命が黒板に記された。

 戦後東宝に復帰した岡本は、西部劇タッチで流れ者軍団を描いた快作『独立愚連隊』(59年)を皮切りに『独立愚連隊西へ』(60年)、同じ「戦中派」の原作者・山口瞳、主演・小林桂樹と組んだ『江分利満氏の優雅な生活』(63年)、8月15日の玉音放送までの24時間を史実で追った『日本のいちばんながい日』(67年)、そして「何のために死ぬか」を模索した『肉弾』と、立て続けに戦争をテーマにした問題作を発表した。

「これ以降も“戦中派”や“戦争”にこだわった作品が続きますが、前田さんが一番好きな作品といえば何になりますか?」

「『江分利満氏の優雅な生活』ですね。戦争体験者の話ですが、全体がコミカルで、どこかもの哀しい。岡本の言う“戦中派”の心情がみごとに描かれていると感じました」

 本書には、何人もの「戦中派」が登場するが、評論家で22年(大正11年)生まれの安田武の言葉が戦後世代にも理解しやすい。安田は終戦の日、終戦を知らず満洲国境でソ連軍と戦闘して約70人が戦死、10センチ隣りにいた戦友も狙撃され即死した、という体験を持つ。

 安田いわく、「(戦争体験に)固執せざるを得ない」、なぜなら「その体験を抜きにして今のぼくはいない」のだから。

 彼が死に、自分は生き残った。死ぬと生きるでは、その後が天地の違い。紙一重で生き残ったのだが、その理由は? 単なるツキか、運なのか!? 日常を死に取り囲まれ、生きるとしても「せいぜい23歳まで」と言われた「戦中派」は、戦後になっても自分が生き残った意味を自問し続けていたのだ。

『シン・ゴジラ』(2016年)の監督・庵野秀明は、大の岡本ファンで、岡本の『激動の昭和史 沖縄決戦』(71年)などは、「職人的な実感で戦争を描いている」と高く評価し、のべ100回以上も鑑賞したとのこと。

「ただ、岡本は日本兵の戦場での野蛮な行為などを作品中で取り上げていませんね、この点は?」

「岡本は戦場に行っていません。行っていないから知らない。彼は体験していないことは描かなかった。表現者としてはそれが限界だった、と言えますが、反面非常に正直です。岡本の限界であり魅力、と言えるでしょうね」

 2005年に81歳で他界した映画監督・岡本喜八は自分の知る限りの「戦争」を作品に封じ込め、静かに彼岸へと退いたのだった。

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