2024年9月6日(金)

BBC News

2024年9月6日

セレスティン・カロニー(ナイロビ)、デイミアン・ゼイン(ロンドン)

パリ五輪の女子マラソンに出場したウガンダの選手が元交際相手に火をつけられて全身に重度のやけどを負い、5日に臓器不全のため亡くなった。

ウガンダ代表の長距離走選手だったレベッカ・チェプテゲイさん(33)の殺害は、友人や家族に大きな衝撃を与え、現地の陸上関係者を動揺させている。

警察によると、2人の子供がいるチェプテゲイさんは1日、隣国ケニア北西部にある自宅前で元ボーイフレンドにガソリンをかけられ、火をつけられたという。

調べによると、チェプテゲイさんは娘2人と教会から帰宅したところを、元パートナーのディクソン・ンディエマ・マランガチ容疑者に襲われた。現場に居合わせたチェプテゲイさんの娘たちは、母親と容疑者の間に割って入ろうとしたという。

ケニア・エルドレトのモイ病院でチェプテゲイさんの治療にあたっていたキマニ・ムブグア医師は、病院スタッフは全力を尽くしたものの「やけどの割合が大きく、残念ながら多臓器不全につながった」と記者団に説明。選手は5日午前5時半に亡くなったと明らかにした。

娘の死去を受け、母親のアグネス・チェプテゲイさんが病院前で会見を行ったものの、激しく動揺している様子で、簡単な追悼しか述べられなかった。アグネスさんは、娘は心の優しい「いい子」だったと語った。

姉妹のヴァイオレットさんは泣き崩れ、「つらいけれども、神に委ねます」と話した。

ウガンダ陸上競技連盟はソーシャルメディアで、「家庭内暴力の悲劇的な被害者となってしまった、私たちの選手、レベッカ・チェプテゲイが今朝早くに亡くなったことを発表しなくてはならず、非常に悲しい。「連盟として私たちは、このような暴力行為を非難し、正義を求める」とコメントした。

ケニアのキプチュンバ・ムルコメン・スポーツ長官は、「ジェンダー由来の暴力が、スポーツ界のトップアスリートにも及ぶ事態が増えており、今回の悲劇は対策がいかに急務か、赤裸々に示すものだ」とコメントした。

ケニアでは女性への暴力が深刻な社会問題となっている。全国調査によると2022年には少なくとも34%の女性が、身体への暴力を経験したことがあると答えている。

国連のステファーヌ・ドゥジャリック報道官は、「私たちは国連人口基金や国連女性機関と共に、(チェプテゲイさんに対する)激しい殺害を強く非難する」とコメントした。

チェプテゲイ選手の元交際相手もエルドレトの病院に搬送され、集中治療室に入院しているが、けがの程度は軽く、容体は「改善しており安定している」と、病院のオウエン・メナチ医師は話している。

地元報道によると、現地捜査当局は選手と元交際相手が土地の使用をめぐり争っていたとして調べているという。

家族と選手仲間を支え

チェプテゲイさんの一番の特長は優しさだったと、多くの知り合いは口をそろえて振り返る。

時折チェプテゲイさんと一緒にトレーニングをしていたというジェイムズ・キルワさんは、チェプテゲイさんが亡くなった数時間後にBBCの取材に応じ、チェプテゲイさんはチームメイトに親切な、経験豊富なアスリートだったとしのんだ。

「とても明るい人で、いつもとても親切で、経済的にも私たちを助けてくれた。(パリ)五輪から戻ってきた時には、私にトレーニングシューズを持ってきてくれた」と、キルワさんは語った。

パリ五輪の女子マラソンで、チェプテゲイさんは2時間32分14秒で44位につけた。

この地域の他のランナーに比べれば、チェプテゲイさんの成績は特に並外れたものではなかった。しかし、メダルを獲らなくてもお金を稼ぐことはできる。チェプテゲイさんは、レース出場の報酬で家族を養うことができた。

父親のジョゼフ・チェプテゲイさんは、「私たちは稼ぎ手を失った」と言い、母親がいなくなった2人の娘の教育が心配だとも話した。

チェプテゲイさんは19歳でウガンダ代表となり、2010年世界クロスカントリー選手権の20歳以下のレースに初出場した。

その後は、長距離のロードレースに転向し、キャリアの後半で成功を収めた。2022年にタイ・チェマイで開かれたトレイル・アンド・マウンテンランニング世界選手権では、アップ・アンド・ダウンヒルのマウンテンレースで優勝し注目された。

2021年にマラソンに初出場。翌年には2時間22分47秒の自己ベストを記録し、ウガンダの女性選手として歴代2位になった。

選手生活の大半を通じてウガンダ陸軍に所属し、伍長まで昇進した。東アフリカ各国のアスリートたちは、経済的な後ろ盾を得るため軍に入隊することが多く、軍務に着く代わりに競技の練習をすることが認められている。

チェプテゲイさんがウガンダ人民国防軍に入隊した経緯については、あまり知られていない。しかし、チェプテゲイさんは同軍の陸上競技部に所属し、2011年にリオデジャネイロで開催されたワールドミリタリーゲームズ(世界軍人競技大会)にウガンダ代表として出場した。

チェプテゲイさんは、ケニアの有名な陸上トレーニングセンターの近くに住むため、同国に移住した。

14年もの間、国際大会で活躍したチェプテゲイさんのことを、前述のキルワさんは姉のように慕い、助けを求めていたという。

「自分が新人のころは、つらくてあきらめそうになった。でもチェプテゲイさんに励まされた」

ウガンダ陸上選手のイマキュレート・チェムタイさんも、キルワさんのように、チェプテゲイさんの搬送された病院を訪れていた。

チェムタイさんは、チェプテゲイさんが4日夕方にいったん回復し、「呼吸もなぜか落ち着いていた」ため、生き延びてくれることを願っていたと話した。

「翌朝に電話がかかってきて、医師から(チェプテゲイさんの死を)告げられた。本当に悲しい。レベッカは私たちにとても良くしてくれた。とても愛らしくて(中略)良い人だった」と、チェムタイさんはBBCに語った。

「家族のことがとても好きで、特に娘たちが大好きだった。私たちがお金を借りたいときとか、そういう場合にもサポートしてくれた。そういうお願いをできたし、彼女はその願いを受け止められた」

トップアスリートにも及ぶ暴力

東アフリカのこの地域では、女性への暴力は時にトップアスリートにも及ぶ。それだけに、チェプテゲイさんの死は、家族や友人以外にも衝撃を与えている。

ケニアの陸上選手ミルカ・チェモス・チェイワさんは、「私たちはまだショックを受けているし、特にアスリートとして痛みを感じている。これがケニアで起きてしまい、(また別の)アスリートが襲われた」と、動揺をあらわにした。

ケニアでは2021年、世界記録保持者だった陸上競技選手アグネス・ティロップさんが刺殺され、その半年後にも陸上のダマリス・ムトゥア選手が絞殺された。どちらの事件でも、選手たちのパートナーが主な容疑者だった。

ティロップ選手殺害をきっかけに設立された「ティロップス・エンジェルズ(ティロップの天使たち)」は、「私たちは一般市民やスポーツ団体、政府が一致団結して、女性と少女を守るために有意義な措置を講じ、これ以上多くの命が失われないようにすることを強く求める」と述べている。

国際陸上競技連盟(IAAF)のセバスチャン・コー会長は、女性アスリートを「あらゆる種類の虐待から」、これまでよりしっかりと守るにはどうすればいいか、現場の団体と協力していくと述べた。

またチェプテゲイさんについて、「まだたくさんの成果を出せたはずだ」としのんだ。

キルワさんにとって、チェプテゲイさんの死は個人的な重大な損失だった。キルワさんは「精神的に良い状態にない」として、8日に予定されているナイロビ・シティー・マラソンへの参加をキャンセルしたという。

(英語記事 Olympian Rebecca Cheptegei dies after being set alight by ex-boyfriend / 'Running for her family' - Olympian mourned after vicious attack

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/ckg2dmgd9r8o


新着記事

»もっと見る