「ヤーヤー、我こそは……」。合戦時の武士の名乗りに由来する「ヤーヤ祭り」。三重県の尾鷲(おわせ)神社の例大祭で、町を挙げての勇壮な祭りだ。今から約350年前の万治4(1661)年、戦国時代の合戦の勝利を、尾鷲神社の主祭神・武速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の神力とし、これを後世に伝えようと始まったといわれる。
「鎌倉時代から宮座*の親方衆が執り行ってきた大祭式、大弓の儀などの神事に、氏子が中心となって行う練り、大名行列、手踊りなどの祭事を採り入れたのがヤーヤ祭りです。毎年、旧尾鷲町の20町の中から持ち回りで3町が、親方衆に代わり祭りを挙行する祷務(とうむ)町となります」と、尾鷲神社宮司の加藤守朗さん。
「チョウサじゃ!」の掛け声とともに、押し合うヤーヤ衆
2月1日の午前0時、大神のお出ましを乞う「御扉開きの神事」で、祭りの幕が開く。歴史を奉告する「由緒祭」、午後7時にはヤーヤ衆と呼ばれる、旧尾鷲20町の若衆が市内を練り歩く「在回(ざいまわ)り」へと続く。2~4日は午後7時から祭りのハイライトのひとつ「ヤーヤの練り」が繰り広げられる。練りの舞台となる祷屋は祷務町の代表者の家が基本だが、最近では公民館になることも多いという。白装束のヤーヤ衆は各町ごとに集団を組んで祷屋に出向き、待ち受ける若衆と押し合いになる。3つの町の祷屋が合体して練りを行う場合もあり、全町合わせて500~600人規模の激しい練りになるケースもあるそうだ。
*神職がいない神社で、神事を執行する祭祀集団