選挙資金強化:茶屋四郎次郎
次に家康の選挙資金の補完を引き受けるスタッフとしては茶屋四郎次郎を推そう。家康個人の資金力にまったく問題は無いが、お金はいくらあっても良い。なにしろ総裁選挙は公職選挙法の縛りを受けるものではない。
四郎次郎は三河出身の元徳川家臣とも伝わる京の豪商で、後に「天下商人筆頭」と呼ばれるまでに発展する茶屋の土台を作った初代から三代までがいる。
まず初代の清延は天正10年(1582年)、本能寺の変勃発の際に家康に従って伊賀越えに参加し、道々の土豪一揆に金銭を配って危機を乗り越えて家康の御用商人としての地位を確立した人物。
天正18年(1590年)2月には駿府の家康のプライベートな使いとして公家の勧修寺晴豊へ黄金10枚(2000万円程度)を献上しているが、小田原北条攻め出陣間際で多忙な家康が京の政情をチェックするために清延を派遣したとすれば、彼の諜報力や社交性がいかに優れたものだったかが窺える。
次に2代目清忠は京・大坂の流通管理を任された物流の専門家。そして3代清次は朱印船貿易で莫大な財を得た人物だ。
朱印船貿易については2つ前の第27回「〈豊臣から天下奪った家康のマネー術〉実はカギを握った朱印船貿易」で触れたが、年間1700億円以上の利益を生み出したらしい巨大プロジェクトを主導した上に自身も部下に「長崎へおもむく際には銀を50貫目ほど持って行っていつでも売れるように用意しておけ」と細かく指示する男だった(茶屋文書)。銀50貫文はざっくり6000万円あまり。長崎で外国人相手に高く売らせようと考えたのだろうが、大々富豪のくせに細かい稼ぎも見逃さないあたりが根っからの商売人だ。
この3人なら、誰が家康の選挙スタッフとなってさらに経済産業大臣になっても、手堅く日本経済の舵取りをしてくれるだろう。
人材発掘:大久保長安
現代の山梨県が出身地である大久保長安も現代の総裁選挙で大いに活躍が期待できる。戦国時代、甲斐の武田家に仕えた猿楽師の子だったと伝わる長安は、武田信玄が力を入れまくった金山の仕事を覚え、経験を積んだらしい。
武田家滅亡後は家康に出仕し金銀山開発・採掘に辣腕をふるう事になるのだが、金山関係者に免税特権を与える〝アメ〟だけでなく「採掘せよ」と強制する〝ムチ〟も振るって順調に採掘量を増やしていった。後には佐渡金山や石見銀山などの奉行となって年間300億円分以上の採掘量へと鉱山業を発展させていくのは、家康が長安を信頼して〝ムチ〟となる大きな力を持たせたのが効いたと思う。この功績によって、家康の伏見城の座敷は貯まった金銀の重みで床が抜けるほどの事態となったのだった。
これほどの資金供給力を誇る長安をスタッフ起用しないという選択肢は無い。なにしろ選挙戦は物入りで、全国の党員に投票のお願いをするにしても1回につき郵便なら1億円、電話でも1000万円がかかるらしいのだから。長安さんヨロシク。
また彼の凄みはそれだけではない。内政でも卓抜した技量を発揮して幕府直轄領18代官のトップとなり「関東総代官」と呼ばれ、
150万石に及ぶ土地を管理して幕府の年貢をしっかり徴収するミッションでも有能極まりないトップ官僚だった。