2024年10月8日(火)

BBC News

2024年10月8日

ジェレミー・ボウエン BBC国際編集長

中東に住む多くの人は、劇的な異常事態や暴力的な死などない、安全で静かな暮らしを夢みている。この1年間の戦争は、現代の中東を襲ったものとして最悪の部類に入る。そして、政治的、戦略的、宗教的な断層が深い隔たりとして残るままでは、平和の夢は実現しないことが、あらためて明らかになった。中東ではまたしても、戦争がこの地域の政治の形を変容させている。

イスラム組織ハマスによる襲撃は、100年以上も未解決のまま続く紛争から派生した。警備の手薄な境界を突破したハマスは、イスラエル建国後のイスラエル人にとって最悪の被害を1日のうちにもたらした。

約1200人が殺害された。そのほとんどが、イスラエルの民間人だった。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はアメリカのジョー・バイデン大統領に電話をして、「ホロコースト以来」最悪の、「この国家の歴史で見たこともないような」残虐な事態だと伝えた。イスラエルは、ハマスの攻撃を自分たちの存在を脅かすものと受け止めた。

あれ以来、イスラエルはガザ地区に住むパレスチナの人たちに、恐ろしい日々をもたらしてきた。ハマスが運営する保健省によると、4万2000人近くが殺害された。そのほとんどは民間人だ。ガザ地区の大半ががれきと化している。パレスチナの人たちは、イスラエルが集団虐殺を行っているのだと非難する。

戦争は拡大した。ハマスが攻勢に出てから12カ月たって、中東はさらにひどい戦争の瀬戸際にある。さらに範囲が広く、規模が深く、いっそう巨大な破壊をもたらす戦争の。

幻想の死

殺戮(さつりく)が1年続き、それまで何重にも重なっていた前提や幻想が取り払われてしまった。そのひとつは、ネタニヤフ首相が抱いていたものだ。首相はそれまで、パレスチナ人が自己決定の権利をいくら要求しても何ら譲歩しないまま、パレスチナ問題に自分は対応できると思い込んでいた。

ネタニヤフ氏のその思い込みをよりどころに、イスラエルの西側同盟諸国は状況を心配しつつもひとまずは安心していた。さらに、米英など西側諸国の指導者たちは、戦争終結のためにパレスチナ国家の樹立を受け入れるよう、首相を何らかの形で説得できるはずだと思い込んでいた。ネタニヤフ氏は政治家として終始一貫、イスラエルの隣にパレスチナ国家ができることに反対し続けていたのだが。

ネタニヤフ氏がパレスチナ国家を受け入れないのは、本人のイデオロギーの反映であると同時に、イスラエル国内にほぼ普遍的にあるパレスチナへの不信感を反映していた。アメリカによる野心的な和平案も、それで破綻(はたん)した。

バイデン大統領が提案した「大々的な取引」は、イスラム世界で最も影響力の強いサウジアラビアがイスラエル国家を承認することと引き換えに、イスラエルがパレスチナ国家の独立を認めるという内容だった。サウジアラビアは報酬として、アメリカとの安全保障条約を得るはずだった。

しかし、バイデン政権のこの計画は最初のハードルでつまずいた。ネタニヤフ氏は今年2月、パレスチナ国家が実現するなら、それはハマスに「巨大な報酬」を与えることに等しいと述べた。ネタニヤフ内閣に参加する極右ナショナリストのベザレル・スモトリッチ氏は、パレスチナ国家の成立はイスラエルにとって「存亡の危機」だと述べた。

ガザのどこかで生きているとされるハマス最高指導者のヤヒヤ・シンワル氏も、彼なりの幻想を抱いていた。1年前のシンワル氏は、イラン率いるいわゆる「抵抗の枢軸」がイスラエルをくじくために全力で、戦争に参加すると期待していたはずだ。しかしそれは間違っていた。

シンワル氏は10月7日にイスラエルを襲撃するという計画を、徹底的に秘密にし続けた。そのため、敵は意表を突かれた。そして、味方の一部も意表を突かれた。BBCが取材した外交関係者らによると、シンワル氏はイスラエル奇襲計画を、カタールに亡命中のハマス政治指導部にさえ伝えていなかった可能性がある。亡命先の指導部は、簡単に盗聴される回線で気ままに会話するなど、安全対策がずさんなことで知られているのだと、外交筋の一人はBBCに話した。

ハマスがイスラエルを奇襲しても、イランは攻勢に出なかった。それどころか、イスラエルがガザに侵攻し、バイデン大統領がイスラエルを守るためにアメリカ海軍の空母打撃群を接近させる中、自分たちは決して戦争の拡大を望んでいないのだと、イランは態度を明示した。

イランが支援するシーア派組織ヒズボラ最高指導者だったハッサン・ナスララ師と、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師は、イスラエルの北側国境へロケット弾を撃ち込むだけに行動をとどめた。ただ、ガザで停戦が実現するまで、このロケット砲攻撃は続けるのだと表明はした。ヒズボラとイランの攻撃はそのほとんどが軍事目標を対象にしたものだったが、イスラエルは自国民6万人以上を国境周辺から避難させた。レバノンではおそらくその倍以上の人数が、イスラエルの反撃を受けてこれまでに退避を余儀なくさせられている。

イスラエルは、自分たちは決してヒズボラとの果てしない消耗戦に甘んじたりしないと、態度を明確にした。とは言うものの、ヒズボラは手ごわい相手だとそれまでの戦歴が示していたし、イランが提供した大量のミサイルも備蓄しているため、イスラエルに対する抑止力は十分あるというのが、それまでの大方の考え方だった。

しかし今年9月、イスラエルはヒズボラに対して攻勢を仕掛けた。イランの最も強力な同盟勢力に対してこれほど素早く、これほどの打撃を与えられると信じた者は、イスラエルの国防軍(IDF)と諜報機関モサドの幹部以外は誰もいなかった。

イスラエルは爆発物を仕込んでおいたトランシーバーやポケットベル式機器を、遠隔操作で爆発させ、ヒズボラの通信網を破壊し、幹部を殺害した。続いて、現代戦でも有数の激しい空爆戦を展開した。攻撃初日にイスラエルはレバノンで600人を殺害した。そこには多くの民間人も含まれる。

イランはそれまで、同盟勢力のネットワークを作り上げることで、イスラエルを抑止し威圧する戦略は完璧だと確信していた。しかし、イスラエルのこの大攻勢はその思い込みに大きな風穴を開けた。特に9月27日には重要な局面が訪れた。ベイルート南郊への大規模な空爆によって、ヒズボラ最高指導者のナスララ師と多くの幹部をイスラエルは一気に殺害したのだ。イランの「抵抗の枢軸」は、同盟勢力や代理勢力が緩やかに結びついたネットワークだった。そして、ナスララ師はその鍵となる存在だった。

イスラエルは国境紛争を拡大させることで、事態を打破した。もしも、ヒズボラに停戦を強いて国境から撤退させることが、その戦略的意図だったなら、それは失敗した。イスラエルによる大攻勢とレバノン南部侵攻は、イランの動きを抑制していない。

戦争拡大は御免だと自分たちが公言していることが、イスラエルを勢いづけていると、イランは結論したようだ。反撃はリスクは高く、イスラエルがさらに反撃してくることは確実だったが、イランの最高指導者と革命防衛隊にとってもはや、それが最も悪くない選択肢になっていた。

10月1日の火曜日、イランは弾道ミサイルでイスラエルを攻撃した

トラウマが保存されている場所

イスラエルとガザ地区の境界を守るはずの鉄条網のすぐ近くに、クファール・アザ・キブツ(農業共同体)はある。このキブツは小さいコミュニティーで、大きすぎず小さすぎない手ごろな住宅が、芝生や手入れの行き届いた庭の合間に並んでいる。そしてクファル・アザは昨年10月7日に、ハマスに攻撃された。ハマスが最初に攻撃した場所のひとつだった。

ここの住民のうち62人が、ハマスに殺された。人質にされガザ地区へ連行された19人のうち、脱出後に2人がイスラエル軍に殺された。クファール・アザで人質にされた5人は、今もガザ地区にいる。

イスラエル軍は昨年10月10日、まだ戦場だったクファール・アザに記者団を案内した。私たちはキブツ周辺の野原でイスラエル軍の部隊が戦闘態勢を固めているのを目にしたし、ハマス戦闘員が隠れているかもしれない建物を捜索する部隊からの銃声を耳にした。ハマスに殺害されたイスラエルの民間人が遺体袋に入れられて、破壊された自宅から運び出されていた。ハマスと戦いながらキブツに入ったイスラエル兵に応戦し、殺害されたハマス戦闘員は、まだ芝生に横たわっていた。手入れの行き届いた芝生の上で、ハマス戦闘員の遺体は、地中海地方の強烈な日差しを浴びて、黒く腐敗していた。

あれから1年たち、死者はすでに埋葬されているが、ほとんど何も変わっていない。生き延びた人たちは自宅に戻っていない。破壊された住宅は、私が昨年10月10日に目にしたのと同じ状態で保存されている。ただし昨年と違い、今ではそれぞれの家で暮らし、中で殺された人たちの名前と写真が大きいポスターや慰霊碑として、そこかしこに掲示されている。

家族と共に襲撃を生き延びたゾハル・シュパクさんは、不運にも助からなかった人たちの家を案内してくれた。一軒の住宅では壁に、そこに暮らしていた若いカップルの大きい写真がかけられていた。二人とも昨年10月7日にハマスに殺された。家の周りの地面は、掘り返されていた。ゾハルさんによると、青年の父親が何週間もかけて地面を掘り起こし、息子の頭を見つけようとしていたのだという。青年は、頭のない状態で埋葬されたのだ。

10月7日に死んだ人たち、そして人質にされた人たちの物語は、イスラエルではよく知られている。地元メディアは今も、イスラエルが誰をどのように失ったのかを話題にするし、1年前の苦しみに新しい情報を付け加えている。

自分たちの生活をどう再建できるか、考えるのはまだ早すぎると、ゾハルさんは言う。

「私たちはまだトラウマの中にいる。まだ、ポスト・トラウマ、トラウマ後になっていない。いろいろな人が言うように、私たちはまだここにいる。まだ戦争の中にいる。戦争が終わってほしかったが、それには勝って終わりたい。軍隊による勝利のことではないし、戦争に勝つことでもない」

「私にとっての勝利とは、自分がここに暮らせるようになることだ。自分の息子と娘、孫たちと一緒に、平和に。私は平和を信じている」

ゾハルさんをはじめクファール・アザ住民の多くは、イスラエル政界の左派勢力に同調している。つまり、イスラエルが平和を獲得するには、パレスチナ人の独立を認めるしか方法がないと考えているのだ。ゾハルさんと近隣住民の多くは、ネタニヤフ氏は危険な首相だと確信している。自分たちが10月7日に無防備に近い状態だったことの責任の多くが、ネタニヤフ首相にあると考えているのだ。

しかし、ゾハルさんはパレスチナ人も信じていない。かつて今よりも世の中が穏やかだった時代、パレスチナ人が病院で治療を受けるためにガザ地区から出ることが許されていた当時、ゾハルさんはパレスチナ人がイスラエルの病院に行くための送迎を手伝っていたのだが。

「向こう側に住む人たちを、私は信じていない。でも平和が欲しい。ガザの海辺に行きたい。でもあの連中は信用していない。あの連中は誰も信用していない」

ガザの破局

ハマス幹部は、イスラエル襲撃は間違いだったとは認めない。自分たちがイスラエルを攻撃したせいで、アメリカに支援され、アメリカから武器を提供されているイスラエルが総力戦を開始し、その猛威がガザの人々に降り注いだのだとは、そしてそれは自分たちのせいなのだとは、認めようとしない。悪いのは占領者だと、ハマス幹部は言う。占領者が破壊と死に欲情しているせいだと。

イランが10月1日にイスラエルを攻撃した1時間ほど前、私はカタールで、ハマスの副代表ハリル・アル=ハイヤ氏をインタビューしていた。ガザの外にいる最高位のハマス幹部で、ハマス全体ではシンワル氏に次ぐナンバー2だ。アル=ハイヤ氏は、自分の部下が民間人を標的にしたという圧倒的な証拠があるものの、それを否定した。そして、パレスチナ人の窮状を世界の重要政治課題のひとつに引き上げるため、自分たちのイスラエル攻撃は必要だったのだと主張した。

「大義を抱き、実現されるべき要求を持つ民がここにいることを世界に知らしめるため、警鐘を鳴らす必要があった。あれはシオニストである敵、イスラエルへの打撃だった」と、アル=ハイヤ氏は主張した。

イスラエルはその打撃を受けた。そしてIDFの部隊がガザの境界へと急行すると同時に、ネタニヤフ氏は演説で「大いなる復讐(ふくしゅう)」を約束していた。ハマスを軍事的・政治的勢力として排除し、人質を帰還させることを、戦争目的に掲げた。首相は今なお「完全勝利」は可能だと力説するし、ハマスがもう1年も捕えている人たちは、いずれ武力によって解放されると主張する。

ネタニヤフ首相に政治的に対立する人たちや、人質たちの身内は、首相が政権内の極右ナショナリストをなだめるため、停戦と人質解放の合意を阻止したのだと非難する。イスラエル国民の命より、自分の政治生命を優先させたのだと、首相は非難されているのだ。

レバノン攻撃によって支持率は回復したものの、ネタニヤフ首相はイスラエル国内に政敵が大勢いる。首相についてはイスラエル国内にさまざまな議論があるが、ほとんどのイスラエル人はガザ戦争については意見が一致している。昨年10月7日以来、ほとんどのイスラエル人はガザ地区で続くパレスチナ人の苦しみについて、心を固く閉ざしている。

戦争開始の2日後、イスラエルのヨアヴ・ガラント国防相は、ガザ地区の「完全包囲」を命じたと発表した。

「電気も食料も水もガスも遮断する。すべて封鎖する。(中略)我々は人の形をしたけだものと戦っているのであって、それに相応の行動をする」と、国防相は述べた。

それ以来、国際社会の圧力を受けて、イスラエルは封鎖を多少は緩和せざるを得なくなった。今年9月の国連総会でネタニヤフ首相は、ガザの人々には必要な食料がいきわたっていると主張した。

その言い分が事実と異なることは、証拠がはっきり示している。首相の国連総会演説の数日前、国連など複数の人道関連機関は合同声明で、「ガザにおけるとんでもない人間の苦しみと人道的な破局」を終わらせるよう要求した。

「200万人以上のパレスチナ人が、保護も食べ物も水も衛生設備もシェルターも医療も教育も電気も燃料も、つまり生存に欠かせない基本的なものが、得られない状態でいる。住民たちは繰り返し繰り返し、出口が全くない状態で、安全でない一つの場所から次の安全でない場所へと、移動を強いられている」と、この声明は述べている。

BBCヴェリファイ(検証チーム)は、1年間の戦争を経たガザの現状を分析した。

ハマス運営の保健省によると、4万2000人近いパレスチナ人がこれまでに殺害された。人工衛星による画像をアメリカの研究者コーリー・シェール氏とハモン・ファン・デン・ホーク氏が分析した結果、かつてあった建物のうち58.7%が破壊されたか被害を受けている。

さらにこのほかに、住民が繰り返しIDFに移動を命じられ、立ち退きを強制されることに伴う人的コストもある。

人の移動がどのような影響をもたらすかは、宇宙からも見て取れる。

人工衛星画像から、ガザ地区最南部のラファ中心部に、いったん集中したテントが、その後、分散する様子がわかる。同じような変化が、ガザ地区の各地で繰り返されている。

住民が次々に立ち退かされることによる、人の大移動の波は、昨年10月13日に始まった。IDFがガザ地区北部の住民に、自分たちの「安全」のために南へ移動するよう命じた時だ。

ガザの住民に、どの地区が戦闘地帯か、避難にどのルートを使うべきか、一時的な戦闘中止はいつになるのかなどを伝えるため、IDFがソーシャルメディアで共有した130以上の投稿をBBCヴェリファイは確認した。

内容が重複することの多い投稿は合計すると、60件の避難命令に相当した。対象地域はガザ地区の8割に上った。

BBCヴェリファイが検証したところ、IDFのこうした通達の多くは、重要な詳細が解読不能で、描かれた境界線はテキストの説明と矛盾していた。

IDFはガザ南部の沿岸地区アル・マワシを人道地区に指定している。それでもアル・アワシ地区は空爆される。人道地区の範囲内で少なくとも18回、空爆があったことを示す映像を、BBCヴェリファイは分析した。

素晴らしい暮らしだった いきなり全てを失った

イスラエルがガザ地区北部を実質的に無人にするよう命令した後、幹線道路のサラ・アル・ディン通りに住民が集中し、ひどい渋滞が生じた様子を、人工衛星画像は示している。

サラ・アル・ディン通りは、ガザ地区を南北に走る主要幹線道路だ。南へ移動する人々でその通りが大混雑したとき、その混乱の中に、インサフ・ハッサン・アリさんがいた。夫と、11歳の息子と7歳の娘もいた。この家族は今のところ全員が生き延びている。しかし、親類縁者の多くは命を落とした。

イスラエルはガザ地区内でジャーナリストが自由に取材するのを認めようとしない。これはおそらく、ガザで自分たちが何をしたか、イスラエルは報道陣に見せたくないからだろうと、私たちは思っている。そのため私たちは、信用しているガザ地区内のパレスチナ人フリーランス記者に、インサフ・アリさんと息子の取材を依頼した。

「私たちがサラフ・アル・ディン通りを歩いていたら、前にいた車が砲撃された。私たちの目の前で、車が燃え上がった。(中略)左側では大勢の人が殺されて、右側では動物さえ……爆撃されて、ロバが何頭もあちこちに飛び散っていた」

「私たちは『だめだ、もうおしまいだ』、『こっちに来るロケット弾で死ぬんだ』と話していた」

戦争が始まる前のインサフさんと家族は、不自由なく暮らす中流家庭だった。しかし戦争が始まってからは、イスラエルの命令ですでに15回、立ち退きを強制されている。ほかの数百万人と同様、インサフさん一家は今では極貧の中でテント暮らしをしている。おなかをすかせていることが多い。周りに何もないアル・マワシの砂丘では、テントに侵入してくるヘビやサソリや毒をもつ巨大ミミズを、絶え間なく追い出さなくてはならない。

空爆で命を落とす危険に加え、飢えと病気に直面している。そして、数百万人もの人が衛生的に排泄(はいせつ)できない状態で暮らしている環境ならではの、排泄物のほこりにも。

インサフさんは自分のかつての生活を思い、そして失った人たちを思い、涙を流した。

「美しい、素晴らしい暮らしをしていたのに。いきなりすべてを失ってしまった。服も食べ物も、生活必需品もない。絶えず立ち退きをさせられるのは、子供たちの健康にとってとても厳しいことで、子供たちは栄養不足で、アメーバ赤痢や肝炎といった伝染病にもかかった」

イスラエルの空爆が始まった時は、「最後の審判の日」のように恐ろしかったとインサフさんは言う。

「母親ならだれもがそう感じたはず。守りたい大切な家族がいる人なら。その大切なものがいつなんどき、いきなり失われてしまうかもしれないと、おびえている人なら。私たちが別の家に移るたびに、その家が爆撃されて、家族の誰かが殺された」

インサフさんと家族の生活、そして200万人以上のガザ住民の生活がほんのわずかにでもよくなるためには、停戦合意が必要だ。もしも殺害が止まれば、ガザ戦争がさらに大規模な破局に広がるのを防ぐため、外交官が活動できるだけの余地が生まれるかもしれない。

しかし、戦争が長引き、イスラエルとパレスチナの次世代がお互い、いま相手に対して抱いている憎しみや、相手をおぞましく思う気持ちを捨てられなければ、未来にはいっそうの大惨事が待ち受けている。

インサフさんの11歳の息子、アナス・アワドさんは、目にしたことすべてに深く影響されている。

「ガザの子供には未来がない。一緒に遊んでいた友達はみんな殉教してしまった。前は一緒に走り回っていたのに。神の慈悲がありますように。僕がコーランを暗唱していたモスクは、爆撃された。学校も爆撃された。校庭も……全部なくなってしまった。僕は平和が欲しい。友達と一緒に戻ってまた遊べたらいいのに。テントじゃなくて、家があったらいいのに」

「もう友達が一人もいない。僕たちの人生もう、砂みたいにぼろぼろだ。祈りの場所まで出ていくと、不安な気持ちになって、行きたくなくなる。落ち着かない、変な気分だ」

息子がこう話すのを、母親は聞いていた。

「こんなに大変だった1年はありません。見るべきではないものを見てしまった。あちこちに遺体が倒れている光景とか。自分の子供たちに飲ませるため、水の入ったボトルを大の男が必死に抱えている姿とか。それにもちろん、住んでいる場所は自宅などではありません。ただの砂の山。でもいつか戻れる日が来るのを待ちわびています」

法律

国連の複数の人道関連機関は、イスラエルとハマスの双方を非難している。

「この1年間にわたる両当事者の行動は、国際人道法とそれに伴い不可欠な最低限の人道の基準を順守しているという、それぞれの主張は笑止なものだと示すに至った」

イスラエルもハマスも、戦争法に違反したと非難されてもそれを否定する。ハマスは、イスラエルの民間人を殺してはならないと部下に命令したのだと言う。イスラエルは、危害を受けないように避難するよう事前にパレスチナの民間人に警告しているものの、ハマスが民間人を人間の盾として利用しているのだと主張する。

南アフリカはイスラエルが集団虐殺を行ったと、国際司法裁判所に訴えた。国際刑事裁判所の主任検事は、ハマスのシンワル氏とイスラエルのネタニヤフ首相、ガラント国防相についてそれぞれ、さまざまな戦争犯罪の疑いで逮捕状を請求している

不透明へ突入

イスラエルの人たちにとって、ハマスによる10月7日の攻撃は、何百年にも及ぶつらい過去を連想させるものだった。欧州でユダヤ人は何百年にもわたり迫害され虐殺され続けた。その壊滅的な帰結が、ナチス・ドイツによる集団虐殺、ホロコーストだったのだ。

戦争が始まって間もなく、イスラエルの作家で元政治家のアヴラハム・ブルグさんは、ハマスの攻撃がいかに自分の国の心理状態にとてつもない影響を与えたか、私に話した。

「私たちユダヤ人は、イスラエル国家こそ第一の、そして最良の、免疫系だと信じている。ユダヤ人のこれまでの歴史から、自分たちを守ってくれるものだと。ポグロム(ユダヤ人の集団的破壊・迫害・虐殺)などもう起きない。ホロコーストなどもう起きない。大量殺人などもう起きないのだと。それが今度のことでいきなり、すべてが戻ってきてしまった」

過去の亡霊はパレスチナ人をも苦しめた。パレスチナ人の著名な作家で人権活動家のラジャ・シェハデさんは、イスラエルは「ナクバ」(大災厄、破局)をまた引き起こしたいのだと確信している。「イスラエルはパレスチナの何を恐れているのか」という題の近著でシェハデさんはこう書く。「戦争が進むにつれて、(イスラエルは)一言一句、本気だったのだとわかった。子供を含めて民間人など、どうでもいいと思っていると。イスラエル政府と、そしてほとんどのイスラエル人の目には、すべてのガザ住民が有罪なのだ」。

イスラエル政府は国民を断固として守るつもりでいる。アメリカの威力に大いに助けられて。これを疑う人はいない。ただし、今回の戦争では次のことも明らかになった。パレスチナ人が永遠にイスラエルの軍事占領下で、まともな公民権も移動の自由も独立のない状態に甘んじるなど、そんなことを誰も信じてはいけないのだと。

何世代にもわたる紛争のあげく、イスラエル人とパレスチナ人は、お互いに対立することに慣れてしまっている。しかし、それと同時にイスラエル人とパレスチナ人は、どれだけ居心地が悪くても、隣り合って暮らすことにも慣れている。停戦が実現すれば、そして新世代の指導者が登場すれば、再び平和を求めて前に押し進む機会は生まれる。

けれどもそれは、ずっと先のことだ。残る今年とホワイトハウスに新しいアメリカ大統領を得た2025年は、不透明だし、危険に満ちている。

ハマスがイスラエルを攻撃してから何カ月もの間、戦争が拡大し悪化すると恐れられていた。最初はじわじわと、そしてついにイスラエルがヒズボラとレバノンに大打撃を与えたのを機に一気に、それは現実となった。

中東は瀬戸際にある――などと言うのは、もはや遅すぎる。イスラエルはイランと戦っているのだ。対立する当事者は戦いの渦中に飛び込んだ。そしてまだ直接関与していない国々は、自分も瀬戸際を越えて崖の下に引きずり込まれないよう、必死に抵抗している。

私がこれを書いている現時点では、イスラエルはまだイランによる10月1日の弾道ミサイル攻撃に反撃していない。イランを厳しく罰するつもりだという意思表示はしている。イスラエルに絶えず兵器と外交上の支援を提供しているバイデン大統領とバイデン政権は、エスカレーション(状況激化)のはしごをイランが加速して上らずに済むよう、イランに抜け道を提供する対応を調整しようとしている。「エスカレーションのはしごを加速して上る」とは、戦略の専門家がよく使う表現で、戦争が急激に危機から大惨事へと進む様子を表す。

アメリカの大統領選を直前に控えている状況で、しかもバイデン氏はイスラエルの戦い方に懸念を示しつつもイスラエルを確固として支え続けている状況で、アメリカがここで何か絶妙な解決方法をひねりだしてくるとは、あまり期待できない。

イスラエルから聞こえてくるさまざまなシグナルから察するに、ネタニヤフ首相もガラント国防相も、IDFや情報機関の幹部も、いずれも自分たちが有利だと考えているようだ。彼らにとって10月7日は惨憺(さんたん)たる大失態だった。首相を除く主立った国防と軍の幹部は全員、謝罪して辞任した。イスラエルは、ハマスとの戦争計画も立案していなかった。しかし、ヒズボラ相手には、前回の2006年の戦争がイスラエルにとって屈辱的な膠着(こうちゃく)状態で終わっただけに、その直後から戦争計画をイスラエルは作り始めた。そして今やヒズボラは、二度と立ち直れないかもしれないほどの打撃をこうむっている。

これまでのところ、イスラエルの勝利はいずれも戦術的なものだ。戦略的な勝利を得るには、敵の行動を無理やりにでも変化させなくてはならない。大きく勢力をそがれたとはいえ、ヒズボラは今なお戦い続ける姿勢を示している。イスラエルがまたしてもレバノン南部に地上侵攻した今、ヒズボラがイスラエルの歩兵隊や戦車と戦えば、空からの攻撃力と諜報活動でのイスラエルの優勢が多少は相殺されるかもしれない。

イスラエルが今後イランに反撃し、それに対してイランがさらに弾道ミサイルで応えた場合、ほかの国々も戦いに引きずり込まれるかもしれない。イランの代理勢力としてイラク国内にいる民兵組織が、アメリカ政府の関係する施設を攻撃する可能性もある。すでにイラクから撃ち込まれたドローンで、イスラエル兵2人が死亡している状況だ。

サウジアラビアは事態を緊張して見ている。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、自分の未来への展望を明確にしている。イスラエル国家の承認は検討はするが、それにはあくまでもパレスチナ国家の誕生と、サウジアラビアがアメリカから安全保障の確約を得ることが前提条件となる。

イスラエルを武器と外交と空母打撃群で支えつつもその行動を抑制しようとするバイデン大統領の姿勢によって、アメリカはイランとの大規模な戦争に巻き込まれる危険にさらされている。そのような事態をアメリカは望んでいないが、いざ必要となればイスラエルを支えるつもりだとバイデン氏は誓っている。

イスラエルがヒズボラ最高指導者のナスララ師を暗殺し、イランの戦略と「抵抗の枢軸」に打撃を与えたことで、イスラエルとアメリカの一部でまたしても新しい幻想を抱く人たちが出現している。幻想とはつまり、今のこれは力によって一気に中東を作り替え、秩序を強制的に押し付け、イスラエルの敵を無力化する、一世一代の、千載一遇のチャンスだという、危険な発想だ。バイデン大統領と後任の大統領は、この幻想を警戒する必要がある。

力による中東再編を前回真剣に検討したのは、2001年9月11日のアメリカ同時攻撃の後のことだった。イスラム組織アルカイダによる攻撃を経て、ジョージ・W・ブッシュ米大統領とトニー・ブレア英首相が、2003年のイラク侵攻に向けて準備をしていた当時だ。

イラクに侵攻しても、中東から暴力的な過激主義はなくなることはなかった。事態はむしろ悪化した。

今のこの戦争を終わらせたい人が優先するべきは、ガザでの停戦だ。事態を鎮めて外交の余地を作るには、それしかない。この1年間の戦争はガザで始まった。戦争の終わりもガザで実現できるのではないだろうか。

(英語記事 Bowen: Year of killing and broken assumptions has taken Middle East to edge of deeper, wider war

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/c8el50d494po


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