2024年10月7日(月)

生成AI社会

2024年10月7日

 生成AIの登場は社会に大きな変化をもたらし、私たちはその利便性を享受しています。しかしその一方で、「学習型のチャットボットが差別的発言を繰り返す」「採用人事で男性に優位な判定を下す」「著作物を無断で学習データとして読み込む」「偽情報の生成・拡散が簡単に行われる」「膨大なエネルギー消費による環境破壊」など、生成AI社会に潜む倫理的な課題は後を絶ちません。
 私たちは生成AI技術を通して、知らず知らずのうちに大規模な搾取に加担してしまっているのでしょうか。また、これからの社会で求められる倫理とはどのようなものなのでしょうか。本コラムでは生成AIが抱える問題点に触れながら、これからの社会に必要な「倫理的創造性」について迫ります。

*本記事は青山学院大学准教授の河島茂生氏の著書『生成AI社会 無秩序な創造性から倫理的創造性へ』(ウェッジ)の一部を抜粋・編集したものです。

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 生き物と機械との境界は、ますます曖昧になってきています。生成AIは、そのような見方を強めるに違いありません。まるで他の人と話しているような感覚で、生成AIとやりとりできるようになってきているからです。

(artursfoto/gettyimages)

 しかし実際には人と機械は異質です。それでも機械を含めたテクノロジーは、人の拡張ではあって、個人や社会が作っていく存在であると同時に、人々の考えかたや社会のありかたに影響を与えてきました(※1)。

 人とテクノロジー(メディア)は、ともに変化してきました。人がテクノロジーを生み出し、そのテクノロジーを使って人が新たなテクノロジーを開発してきました。そのなかで人々の認知も作用も生活も変わっていきました。人は、他者や社会との関係によって変わっていきます。それと同様、テクノロジーとの関係によっても変化していきます。

 よく「道具は使い方次第」といわれます。そして「テクノロジーは単なる道具」ともいわれます。まるでそれを使っている人間は変わらず、道具の影響を受けないかのように聞こえます。しかし実際は、テクノロジーとともに人も変わり人間社会も変わってきました。

 たとえば文字のない「声の文化」の人たちは、言葉の定義には関心を示さなかったり喧嘩っぱやかったり、あるいは伝統を守る傾向にあります(※2)。

 文字ができると、身体の内部に蓄えきれないほどの情報を書き言葉で記すようになりました。声を出して文章を読んだり、修道院や大学などで社会的に書物を蓄積していきました。

 やがて印刷文化が普及し、個室が生まれることによって、人々は一人で静かに考えることが増え、自分で自分のことを考えはじめ個人(近代的個人)という概念が生まれました。あわせてプライバシーが肯定的に捉えられるようになりました。

 技術が社会に与える影響も大きく、印刷文化がなければ科学革命も産業革命もなかったでしょう。正確に知識が流通するには、正確に資料を複製する必要があり、それには印刷技術が欠かせなかったのです。

 いまやテクノロジーがなければ日常生活が成り立たないほどです。テクノロジーがあるからこそ、蛇口をひねって水を出したり、エアコンをつけて室内の温度を調整したり、電気をつけて夜でも仕事をしたりすることができます。

 これらは、すべて20世紀に普及したテクノロジーですが、それらが災害などで使えないと私たちはとても困り果ててしまいます。

詳しくは生成AI社会 無秩序な創造性から倫理的創造性へ』(ウェッジ)の第2章を参照

※1マクルーハン、マーシャル(2021)『マクルーハン発言集』(宮澤淳一訳)、みすず書房

※2オング、ウォルター J.(1991)『声の文化と文字の文化』(桜井直文・林正寛・糟谷啓介訳)、藤原書店


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