この観察対象の捉え方はメディア研究では実に慣れ親しんだ考えかたです。むしろそうした考えかたを前提として、メディアの及ぼす影響──マスメディアの偏向報道など──を問題にしてきました。
たとえばメディア研究では、マスメディアが偏ると、人々の考えも偏り、社会が偏るので問題だとしてきました。マスメディアの報道内容とともに、人々は考えるという捉え方です。
もちろん、人とメディアがどこまで一体として考えているのかということ自体、オーディエンス研究などで研究されているわけですが、メディア研究の一源流を作ったマーシャル・マクルーハンは、身体の拡張としてメディア (テクノロジー) を捉えたうえで、私たちがみずからの拡張である技術に絡み取られて、そこから距離を取れなくなるといっています。
くわえてサイバネティクスの学者でもあったグレゴリー・ベイトソンも、機械や人を含んだ生態系全体を心(マインド)と考えていました。このような観察対象の捉え方が次第に増えてきているように感じます。人の知は、身体の境界をこえて広がっています。
コンピュータの発展に貢献した「メメックスの構想」
人と機械との関係は、より深く、より込み入って混成してきました。まぎれもなく、コンピュータが高度化・ネットワーク化・遍在化してきたためです。
よく知られているように、コンピュータのイメージの一つとなったヴァネヴァー・ブッシュのメメックスは、個人の知的増幅装置として考えられました(※4)。1945年に発表された、机と一体になった検索システムです。
ブッシュは、アメリカの科学技術を先導した人で、メメックスの構想は、マイクロフィルムを使うなど当時の技術に縛られていたものの、後年に大きな影響を与えています。コンピュータが単独で思考するというよりも、人の知的活動を増幅させるものとして考えられたのです。
1940年代当時、すでに出版物の量が増えすぎ、研究者が読みきれなくなっていました。このままでは研究成果を積み上げたとしても、うまくいかしきれません。
そのためブッシュは、出版物をマイクロフィルムに縮小し記録して机の上で取り出せるようにしてはどうかと提案しました。それがメメックスです。個人用の装置であり、その人の連想を机と一体になった機械に記録しておき必要に応じて検索できるようにするシステムです。
私たち人は、図書館の分類システムのように考えるわけではなく、連想にもとづいて物事を考えます。その連想を記録しておき、机の上のスクリーンで見ながらキーボードなどで操作することが描かれました。
メメックス (memex) という名前は、人の記憶 (memory) のありかたを模倣 (mimic) した装置であることから名づけられたといわれています。
※4ブッシュ、ヴァネヴァー(1997)「われわれが思考するごとく」『思想としてのパソコン』(西垣通訳),NTT出版 65-89