2024年10月8日(火)

BBC News

2024年10月8日

ロシアの反体制派の有名活動家で、ウクライナ側に立って同国で戦っていたイルダル・ダディン氏が戦死した。同氏がウクライナ側に加わるのを手伝ったグループが明らかにした。

このグループ「シヴィック・カウンシル」の広報担当は、ダディン氏が死亡したとBBCに説明し、「彼は英雄だったし、今もそうだ」と付け加えた。

活動家から戦闘員に転身したダディン氏は、所属していた志願兵大隊「自由ロシア軍団」の兵士らがウクライナ北東部ハルキウ州でロシアの砲撃を受けた際、死亡したという。

これ以上の詳しいことは明らかになっていない。同軍団も、軍事作戦はまだ続行中だとしてコメントを出していない。

ダディン氏は2014年、ロシアで政治的弾圧が強まる中で平和的な抗議行動を粘り強く続け、その名が知られるようになった。そして、抗議行動に関する規制に繰り返し違反することを犯罪とした、刑法の新たな条項に基づいて起訴された最初の人物となった。この第212条1項はすぐに「ダディンの法」と呼ばれるようになった。

ダディン氏は横断幕を持ってモスクワの通りに立っていただけだった。しかし裁判では2年半の刑を言い渡され、懲罰房に収監された。同氏はすぐにハンガーストライキを始め、看守らはそれをやめさせようと同氏に拷問を加えた。

2017年に釈放されると、ダディン氏はモスクワでBBCのサラ・レインズフォード東欧特派員に、収監中の様子を語った。手錠をかけられて壁に吊るされ、看守からレイプすると脅されるなど、残忍さに心が折れそうになったと述べた。

ダディン氏は今年、ロシア人志願兵の大隊に加わったことについて、「何もせずに傍観し、ロシアの悪や犯罪の共犯者になることはできない」と、レインズフォード特派員に説明していた。

自らを平和主義者だとしていたのに武器を取ったことについては、「侵略、集団殺害、拷問、レイプ、略奪」を理由に挙げた。それでも、自分のコールサインは「ガンジー」にすることを選んだ。

ダディン氏はロシアが隣国ウクライナの全面侵攻に出たことについて、個人として深く責任を感じていた。自分や仲間のロシア人がウラジーミル・プーチン大統領を止められず、警察の暴力や刑務所の脅威におびえて路上での行動から身を引いてしまったと言っていた。

ダディン氏はその後、ウクライナ北東部スーミ州の前線近くから、レインズフォード特派員に手紙を送った。そこには、「今大事なのは良心に従って行動することだ」と書いてあった。

戦闘についての思いと自責の念

ダディン氏は昨年6月にまずシベリア大隊に加わり、冬になって自由ロシア軍団に移っていた。いずれもウクライナ軍の正規の組織だ。

これらに新兵として加わるのは、ウクライナがプーチン大統領を倒すのを助けることが、ロシアの「プーチン支配」を終わらせる第一歩になると考えているロシア人が多い。

ただ、その人数も、戦闘力としての効果も明らかではない。

今年3月にはウクライナから国境を越えてロシアに侵攻するなど、いくらか成功も収めたとされている。

だが、ダディン氏にとっては、必ずしも願っていたような経験ではなかった。所属部隊の任務の中には、軍事的に「無意味」なものもあったと感じていた。

ある戦闘では、ロシア軍の攻撃にさらされ、爆弾でできたクレーターの中で8時間、身動きが取れなくなったと、のちにレインズフォード特派員に説明した。上空には手投げ弾を投下しようとするドローン(無人機)が飛び、近くで仲間の義勇兵が出血多量で死んでいったと述べた。

多くのウクライナ兵と同様、ダディン氏は疲れ果てていた。ほとんど休日なしに戦い続け、腰に負った傷のため足を引きずっていた。

それでも、彼の良心が「傍観」を許さなかった。少なくとも「ロシアの犯罪者によって」ウクライナ人が殺されている間は傍観などできないと、同氏は言っていた。

「私はロシアを止めようとした。だが、止めたのか? ノーだ」、「私が十分なことをしなかったから、何千人もの人々が殺された」。

レインズフォード特派員との最後のやりとりでは、ダディン氏はそう言って自らを責めた。

だが、彼を戦場に送り届けた人々は、この考えに同意していない。

「イルダルは強く、勇敢で、信念があり、誠実だった」とシヴィック・カウンシルは記した。「彼はそのように記憶されるべきだ」。

(英語記事 Russian opposition activist killed fighting for Ukraine

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/c3618d890xeo


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