2024年12月21日(土)

孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代

2024年10月7日

 孤独死の現場に立ち、はや9年がたつ。特殊清掃業者と共に防毒マスクを着け、防護服をまとい、厳重な装備で物件に突入する。無数の蛆が這い回り、蠅が飛び回る部屋に。目の前に広がる黒い人型の体液は、床下まで達していて、強烈な腐敗臭が鼻を突き射す。現場は、まるで修羅場だ。

(YOSUKE WADA)

 それでも私が孤独死の現場に立ち続けるのは、そこに「生きづらさ」という自身との共通点を感じるからだ。私は、元ひきこもりで親から肉体的、精神的虐待を受けて育った。さらに成人してからは、就職氷河期の波に呑まれ、社会に対して息苦しさを感じてきた。死の現場には、生前に故人が抱えていたであろう、同じ息苦しさが渦巻いていた。彼らの死は他人事ではなく、自分事だった。

 孤独死する人の多くが、セルフネグレクト(自己放任)に陥っている。セルフネグレクトとは、別名〝緩やかな自死〟といい、自身のケアができなくなることを指す。ふとしたきっかけで人生の階段から転げ落ち、心身を病み、孤独死してしまう。

 例えば、ある50代の男性は、国立大学を卒業後、一部上場企業に就職した。しかし上司のパワハラに遭い退職。退職金を食いつぶして20年以上もアパートに引きこもっていた。

 その後、部屋はごみ屋敷と化していく。そして灼熱の暑さの中、熱中症で命を落とした。遺族によると長年の不摂生のため歯は一本もなく、目は落ちくぼんでいた。エアコンはとうの昔に壊れており室温はゆうに40度を超えていた。この過酷な環境で、過ごしてきたのかと思うと、胸が締めつけられた。

 コロナ禍で印象的だったのは、50代の女性の死だ。彼女はかつてある航空会社の客室乗務員だったが、うつ病を発症し、家に引きこもるようになる。しばらくして父が亡くなり、母は施設に入所。一人残された彼女の寝室からは「これからどうやって生きていったらいいんだろう」と悲嘆に暮れるメモが残っていた。両親は切り詰めた生活をして、彼女のために数千万円を残していたが、そのお金が使われることはなかった。

 コロナ禍では、つながりが遮断された結果、遺体発見までの期間が延び、フルリフォームが必要な物件が増えた。つながりを持つ者はますます絆を強くし、縁なき者は捨て置かれる。死の現場は、残酷な形で私たちの社会の実相を映し出したのだ。

 孤独死という現象は他国から見ると珍しいのか、私には海外メディアからよく取材の依頼がくる。先日イタリア国営放送の取材を受けたが、キャスターの女性は孤独死の現状を聞くうちに泣き出してしまった。「こんな悲しい現実があるなんて──」と。家族の絆が強固なイタリアでは孤独死はほとんど聞かないという。彼女の反応は、改めて日本の特殊な状況について、考えさせられた。


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