2024年10月7日(月)

孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代

2024年10月7日

 60代の自営業の男性は、離婚後セルフネグレクトに陥っていたが、プライドもあって、その窮状を誰にも伝えられなかった。しかし「このまま死んでしまうのでは」と、命の危険を感じたことで、変化が訪れた。初めて仕事仲間に助けを求めたのだ。

 それをきっかけにして、何とかセルフネグレクトから脱することができた。その後は、自分と同じ境遇の離婚や死別した男性たちに声を掛けた。そして仕事仲間を中心にLINEグループを作り、さりげなくお互いの安否確認を行うことで絆を深めている。今ではLINEグループの投稿を見ることが、生活の張り合いになっているという。

 現代社会では誰もが少なからず、ひりつくような生きづらさと隣り合わせである。生きづらさは、えてして個人の問題とされがちだが、その背景には福祉や医療、貧困、労働問題などが横たわっているケースも多い。マクロの視点で国ぐるみで取り組むべき課題である半面、ミクロレベルでは私たち一人ひとりが向き合うべきことでもある。

自己責任論からの
解放が第一歩に

 社会問題を取材していると、日本は過剰なほどに自己責任論が根強く、それを過剰に内面化していると感じる。「迷惑をかけたくない」という言葉は、危機的な状況に陥っている人ほど聞かれる言葉だ。福祉関係者は「早く相談してもらえれば」としきりと嘆くが、なかなかそうできない心理も私は理解できる。

 自身もそうであったが、人に助けられた経験のない人ほど、こうした思考に陥りやすいからだ。自分を「迷惑な存在」として考えるのではなく、生きづらさを感じる中でも「生存」できていることを肯定する。こうして自分を抑圧するものから解放されることが、助けを求めるためには必要なのではないだろうか。

 私のSNSに40代の女性からSOSのDMが届いたことがある。彼女のアパートを訪ねると、天井までごみが積み上がり、室内は灼熱地獄だった。しかし、私の紹介で福祉関係者とつながり、命は助かった。

 彼女が勇気を振り絞って助けを求めてくれたことが嬉しかった。私は彼女だったかもしれないし、彼女は私だったかもしれないと思えたからだ。

 私たちの人間社会は、ある意味で〝迷惑の掛け合い〟でなり立っている。だから、生きづらさを自分のせいにして追い込まず、まず周囲に助けを求めることを臆さないでほしい。そして困っている人がいたら手を差し伸べてほしい。その持ちつ持たれつの関係性こそが重要である。

 日常生活に追われていると忘れがちだが、人は寄りかかったりかかられたりして、網の目のように有機的につながっている。他者への想像力を失わないことが、経済優先、効率優先になりがちなこの社会と向き合う一歩ではないか。長年、生きづらさを巡る問題を取材してきた身として、そう感じずにはいられない。

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Wedge 2024年10月号より
孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代
孤独・孤立社会の果て 誰もが当事者になる時代

孤独・孤立は誰が対処すべき問題なのか。 内閣府の定義によれば、「孤独」とはひとりぼっちと感じる精神的な状態や寂しい感情を指す主観的な概念であり、「孤立」とは社会とのつながりや助けが少ない状態を指す客観的な概念である。孤独と孤立は密接に関連しており、どちらも心身の健康に悪影響を及ぼす可能性がある。 政府は2021年、「孤独・孤立対策担当大臣」を新設し、この問題に対する社会全体での支援の必要性を説いている。ただ、当事者やその家族などが置かれた状況は多岐にわたる。感じ方や捉え方も人によって異なり、孤独・孤立の問題に対して、国として対処するには限界がある。 戦後日本は、高度経済成長期から現在に至るまで、「個人の自由」が大きく尊重され、人々は自由を享受する一方、社会的なつながりを捨てることを選択してきた。その副作用として発露した孤独・孤立の問題は、自ら選んだ行為の結果であり、当事者の責任で解決すべき問題であると考える人もいるかもしれない。 だが、取材を通じて小誌取材班が感じたことは、当事者だけの責任と決めつけてはならないということだ――

 


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