プロ野球の発展に貢献した監督、選手らに送られる「第47回正力松太郎賞」を、阪神タイガースを38年ぶりの日本一に導いた岡田彰布監督が受賞した。日本シリーズ優勝監督が6年連続で選ばれており、〝規定路線〟ではあったものの、指揮官にとっては65歳で初の受賞となった。
オリックス・バファローズとの「関西ダービー」を制し、1985年以来の日本一を達成。「紙切れ一枚」で監督解任を告げられた因縁の相手を倒しての栄冠だった。
「四球重視」を高く評価
伝統球団と呼ばれる阪神も日本一は2回だけ。岡田監督は阪神が初めて日本一になった85年は27歳の現役バリバリの主力選手として、そして今回は指揮官として、いずれの日本一にも貢献した。
正力賞の選考委員会の座長を務めた山本浩二氏は、今季の岡田阪神の優勝の鍵にもなった「四球重視」の手腕を高く評価。チームに出塁の意識を根付かせ、両リーグトップの494四球を選び、555得点をマークした緻密な采配が、全会一致での受賞につながった。
日本シリーズは第7戦までもつれた激闘。指揮官はかつて〝短期決戦〟に弱いとされた普段通りの「王道采配」を貫き、猛虎を頂点へと導いた。
「334」。この言葉をご存じの読者はどれくらいいるだろうか。阪神が2005年に千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズで4連敗。初戦を1―10で濃霧コールド負けし、その後も0―10、1―10、2―3。4試合のロッテの総得点が「33」に対し、阪神はわずかに「4」。以降、大敗の象徴のように「334」はインターネット上をにぎわす言葉となった。この黒歴史を刻んだ05年日本シリーズを戦ったときの指揮官も岡田監督だった。
4戦目の甲子園球場に、当時は産経新聞記者だった著者も取材に出向いていた。満員で埋まる甲子園に漂い始めた敗戦ムードの試合終盤、「岡田、やめちまえ!」「ええ加減にせえ!」と痛烈なヤジを飛ばすファンの姿が印象に残っている。野村克也氏、星野仙一氏と外様の名将にチーム再建を託した猛虎で、04年からタクトを振るうチーム生え抜きの岡田監督には、ファンの愛憎の念も激しかった。