2024年5月7日(火)

スポーツ名著から読む現代史

2023年7月28日

 「ID(データ重視)野球」の生みの親で、多くの著作を残し、3年前に亡くなったプロ野球界きっての名将、野村克也。今なお野村を慕う声はさまざまな場面で聞かれるが、これまであまり語られることのなかった「空白の3年間」に光を当てた本が、今回紹介する『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(加藤弘士著、2022年、新潮社)だ。

(アフロ)

 著者の加藤は報知新聞の記者で、野村が沙知代夫人の脱税事件の余波を受けて阪神タイガースの監督を辞した後、社会人野球のシダックスの監督として3年間、アマチュア野球の指導に情熱を燃やした時期に、アマチュア野球担当記者として野村を取材した。後に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督としてプロ球界に復帰した野村を追うように、楽天担当記者も務めた加藤は没後2年が過ぎた22年、野村の業績としてあまり語られることのなかった社会人野球監督時代の野村にスポットライトを当てた。

 野村自身、「あの頃が一番楽しかった」と振り返ったというシダックスでの3年間。「人生最大の後悔」と振り返る「采配ミス」もあった。プロ野球人として例のないほどの栄光と挫折を味わった野村だが、その野球人生を振り返るうえで、語ることの少なかった3年間はどのようなものだったのか。

「もう終わった」

 「もう野村の時代は終わった」と多くの野球ファンは思った。今から20年以上前の話になる。

 ヤクルトスワローズの監督として9年間で4度のリーグ優勝と3度の「日本一」を達成し、「名将」の地位を築いた野村は、低迷が続いていた阪神タイガースの監督に招かれたが、3年連続最下位に終わった。2001年のことだ。

 阪神の成績不振に追い打ちをかけるように、沙知代夫人の脱税疑惑が夏場以降に表面化した。球団は当初、野村の続投を明言していたが、沙知代夫人の疑惑で自宅に強制捜査が入ると動かざるを得ない。12月5日深夜、野村は監督辞任の意向を球団に伝え、未明の記者会見で退任を正式発表した。

 当時66歳。再びユニホームに袖を通すとは、野村本人も周囲も思わなかっただろう。だが、失意の野村に「監督を引き受けてくれないか」と声を掛けた人がいた。

 給食事業から始まり、カラオケ店まで多角的に事業を広げ、社会人野球チームも持っていたシダックスの創業者、志太勤だ。野村の1歳年上で、沙知代夫人がオーナーを務める少年野球が加盟している連盟の副会長をしていた関係で野村夫妻と知り合い、10年以上も家族ぐるみの交際を続けていた。

 野球好きの志太は1993年に社会人野球チームを作り、94年には当時世界一を誇ったキューバから主力選手を来日させ、いきなり社会人野球の最高峰、都市対抗野球大会の初出場を果たした。しかし、新興チームにとって東京都予選を勝ち抜くことも容易ではなく、2000年に4度目の出場を果たして以来、2年間は本戦出場を逃していた。


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