昨年の夏、台湾の李登輝元総統にインタビュー(李登輝元総統インタビューはWEDGE2月号掲載)をすることができることになり、急遽台湾に向かった。
地方空港発台湾便の多さに驚く
台湾には広島から2時間半で台北市の西にある桃園国際空港に着いた。新幹線でいうと、東京から新大阪まで行くのと同じ。やっぱり近いと実感させられた。当初、東京から出発するつもりだったが、日本航空、全日空、チャイナエア、エバーエアなど全て満席状態だという。どうしても東京からということであれば、ソウルや北京を経由して行くしかない。
何か方法はないかとパソコンを叩いていると、広島発の直行便が1日1往復している。「実家に寄ってから行くか」と、広島便を予約した。平日の朝9時発の便である。「乗客が少ないだろうから座席をゆったり使うことができるはず」という期待は見事に裏切られて、ほぼ満席状態。しかも、過半数は台湾の人たちだった。
あとで調べてみると、地方空港発の台湾便は驚くほど多い。大阪、名古屋、福岡、札幌は当然。仙台は理解できるとしても、小松、静岡、広島、岡山、高松、宮崎、沖縄となると「え、そこまで?」と思わず口にしてしまう。まだ沖縄は地理的にも近いからかなとも思うが、他の町では台湾とどんな関係があるのか? 今度調べてみたいテーマだ。無駄な公共事業として批判の対象になる地方空港だが、利用率が高いのであれば、素晴らしいことだ。
旧総督府に台湾大学……
台湾の街並み
桃園国際空港から台北市内へはバスで40分。窓に水滴が当たったかと思うと、一気に激しい雨となった。だが、またすぐに止んだ。取材班の他のメンバーとの待ち合わせ場所である台北松山空港に到着。こちらは、市内のど真ん中にある。バスを降りると、猛暑日が続いた東京に比べるとずいぶん涼しく感じられた。東京が暑すぎたことも原因だが、スコールが町を冷やしてくれるのだろう。
松山空港は、桃園空港が1979年にできて以降、国内線専用となった。2000年代後半になって、中国、日本(羽田)、韓国と国際線が復活した。松山空港は1936年(昭和11年)に当時の台湾総督府によって建設され、翌年から日本海軍の航空隊の基地として使用された。台湾には、今も日本時代の名残が多く残る。今回インタビューさせて頂いた李登輝さんも「21歳まで日本人だった」とコメントしている。