見知らぬ人への親切心
午後には帰国しなければならないため、早朝、ご自宅にお邪魔した。ところが、おばあちゃんがいない。お客さんが来ることを忘れて、いつもの散歩に出てしまったのだという。しばらくするとおばあちゃんが戻ってきた。おばあちゃんは「おはようございます」と、濁りのない日本語を喋った。だが、「昔の台湾について教えて下さい」と尋ねると、「覚えていない」と、おばあちゃんは口を閉ざしてしまった。
すると、孫娘である女性が閩南(ミンナン)語でおばちゃんに話しかけてくれた。おばあちゃんは短くそれに答えた。「昔は貧乏ばかりで、芋ばかり食べていたそうです」と孫娘さんが訳してくれた。おばあちゃんは、日本語と閩南語は分かるが、北京語が分からない。台湾で北京語教育がはじまったのは、戦後になってからだ。
おばあちゃんは、貧しくて小学校も2年ほどで通うのを止めて働いていたというが、私たちの持って行った雑誌の平仮名と片仮名は読むことができた。しかし、漢字は読めなかった。
子どもは8人生んだけれども、貧しくて4人を養子に出した。養子に行った兄弟姉妹が良い生活をしているのを見た、残ったこどもたちに「自分たちも養子に出たい」と言われて辛かったこと。日本統治時代も戦後も貧しいばかりで生活は何も変わらなかったこと。少しずつ昔のことを話してくれた。苦労続きではあったけれども、息子(紹介してくれた孫娘の父親)が縫製会社を興して成功してくれたので、毎日、お米が食べられるようになったこと……。「今が一番幸せ」だという。
「おばあちゃん、日本語の歌を歌いますよ」と孫娘さん。「なんていう歌だったかな……、そう、北国の春だ」。早速、その場でiPhoneのYouTubeで「北国の春」をかけてみると、おばあちゃんはそれに合わせて日本語で歌いはじめた。歌い終わったところで、お暇させて頂いた。外に出てタクシーを拾うべく待っていると、おばあちゃんが3階の部屋からわざわざ降りて来てくれた。見知らぬ人への親切心、ここにもかつての日本人の姿を見たような気がした。
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