東電で送電線鉄塔の設計をしていたという人のコメントが引用されているが、設計をしていた人が規模の経済、稼働率の問題を理解している可能性は低いだろう。朝日の記者は事情が分かっていない人物のコメントを元東電社員というだけで引用するのではなく、経済性も正確に指摘するのが読者に対する務めだろう。記者が規模の経済、稼働率の問題に気が付かず、送電設備の建設費用が1kW時当たりの送電コストを決めると思っていたと言うならば、記事を書く前に経済の勉強が必要だ。
金融機関は原発に融資しない?
同じ記事のなかで、「金融機関が融資しないのは、原発のコストが高くて事業性がないことを意味する。原発推進派も知っているはずだ」との大島賢一立命館大学教授のコメントも紹介されている。おかしなコメントだ。コストが高く事業性がないのであれば、なぜ事業者は原発の建設を望むのだろうか。事業者が原発の建設を望むのは、建設時点で発電コストがほぼ確定するというメリットがあるからだろう。事業性のない案件を進める事業者がいるはずもない。
総括原価主義で、投資に対する収益が保証されているから事業者は原発を進めるのだとの説明があるかもしれないが、自由化され総括原価主義がない市場でも原発の建設は行われている。金融機関が資金提供を行わないのは、原発のコストが高いからではなくて、原発からの電気が、40年とか50年の間、常に火力発電に対して競争力があるかどうか分からないからだ。
原発の発電コストの大半は資本費だ。一方、火力発電はコストの大部分は燃料代だ。原発は建設当初の段階でコストが決まるのに対し、火力発電のコストは燃料代次第で変動する。今後40年、50年間の燃料代は誰も予測できない時代になってきた。ひょっとすると、原発が火力に対して競争力を失うことがあるかもしれない。シェール革命もあり化石燃料の価格は不透明だ。
金融機関は不確実性があれば融資を躊躇する。不確実性があるというのと、コストが高いというのは全く異なる話だ。燃料価格次第で火力発電との競争の問題はあるが、電力事業者としては常にコストが読める電源を保有するのは重要なことだ。また、エネルギー安全保障の観点でも化石燃料に依存しない電源は重要だ。
だからこそ、英国政府は35年間に亘り原発からの電気の購入を保証することにより建設を促進している。不確実性の問題を原発のコストが高いから事業性がないと説明するのは正しくない。