「極秘に伝えてもスクープされる」
世界の著名人との交流については、ほかにもニクソン政権下の大統領補佐官(国家安全保障担当)、国務長官として文字通り世界政治に影響を与えた故ヘンリー・キッシンジャー博士がいた。退任後、何度か訪日の際に、読売新聞本社を訪ね、渡辺氏と懇談している。
その後、筆者自身も、ワシントンのアメリカ総局長時代を通じ、博士と幾度となく会食する機会にめぐまれたが、会うたびに必ず博士の口から真っ先に飛び出した言葉が「ミスター・ワタナベは元気ですか?」だった。
博士は、渡辺氏が日本の政界に精通した卓越したジャーナリストであることを熟知しており、実際に日米の政治事情、国際情勢について、訪日の機会に二人で内容の濃い意見交換をしてきたことが背景にあった。
筆者はある時、博士のニューヨークの自宅で朝食をとっていた際、こちらからぶしつけな質問をしたことがあった。
1972年2月、ニクソン大統領の支持を取り付けたキッシンジャー補佐官(当時)がパキスタン経由で極秘訪中、中国の周恩来首相との会談で米中国交正常化の道筋をつけた、当時のいわゆる“ニクソン・ショック”についてだった。
「なぜ世界史を動かす大事件を米国の同盟国であり、中国とも友好関係のある日本側に事前に伝えなかったのか」という問いかけだった。
すると、すぐにジョーク交じりにこんな返事が返って来た。
「極秘に政府に伝えても、翌朝には(渡辺氏のいる)ヨミウリ・シンブンにスクープされるだろう」
激動の世界情勢下での日本の考察
偏狭な保守主義とは無縁の国際主義者としての渡辺氏の真骨頂は、社長の立場でありながら、日本に大惨事をもたらした太平洋戦争当時の軍国主義者たちの責任を改めて問い直す大型プロジェクト「検証 戦争責任」で陣頭指揮に立った際にもいかんなく発揮された。
長期にわたるシリーズは新聞掲載終了後、数巻にわたる本として出版されたが、渡辺氏はこれが日本語で日本の読者だけを対象となっていることに飽き足らず、広く世界の人々にも読んでもらう必要を指摘し、英語版そして中国語版の発刊にも意欲を燃やした。
結果的に外国語版は、欧米の有力紙、通信社のみならず、日本とは微妙な関係にある中国政府関係メディアでも大きく報じられ、良識ある日本を代表する新聞としての国際的評価を高めるのに寄与したことも見逃せない。
言論人としての渡辺氏は、激動の世界情勢下で日本の進むべき指針についての考察にも余念がなかった。その際に独断、偏見によらず、内外の諸問題について、日本を代表する各界、国外の有識者の考えにつねに耳を傾ける謙虚で真摯な姿勢は際立っていた。