2025年6月17日(火)

Wedge REPORT

2025年6月6日

言論の自由とのジレンマ

 ただし、この問題で注意しなければならないことは、「言論・表現の自由」という全く別の論点、課題も絡んでくることだ。

 前述したように、今回の東京新聞の報道は、「政治的傾向のある団体という一部の声」とも言える。その一方で、たとえ偏向したり誤っていたとしても、自由に声を挙げることそのものを批判する際には一定の慎重さも求められる。

 いかなる声や意見、問題提起であっても「不当なクレイムである」かのように恣意的に扱ってしまう、あるいは「間違い」を一切許そうとしない社会もまた、自由な言論や表現を委縮させ、偏向した抑圧や別のインフルエンス・オペレーションに歯止めが効かなくなる危うさも内在してしまう。ここに、言論・表現の自由とマッチポンプ・クレイム対策とのジレンマがある。そのジレンマこそが「少数派への寄り添い」「素朴な不安」に類した免罪符でマッチポンプ・クレイムが正当化され、繰り返されてきた背景にあるとさえ言えるだろう。

 このジレンマを克服していくために、どうするべきか。今回の広報紙を「戦争と結びつける感情」も個人の自由であることは理解すべき一方で、そうした少数の個人感情に配慮しすぎてしまうと表現は限定されてゆく。あらゆる人々から同意・賛同が得らえる施策は無く、全てにおける完璧な方法はありえない。  

 それを大前提とした上で、(1)客観的事実に基づいた主張であるか、(2)公益・公共に対する公平性・妥当性があるか、(3)リスクに対する緊急性があるか、これら3点が重要になってくるのではないか。

 たとえば「広報かつしか」の「こち亀」に対する「戦争を想起させる」に類した抗議は、(1)の観点について少数の個人による「連想の自由」にすぎない。(2)では「こち亀」は地元である葛飾を舞台にしたフィクション作品であり、戦争そのものや暴力の肯定を描いているわけではなく、作品世界における演出の延長線上で、抗議側にこそ違和感を訴える声が多数である。(3)のリスクに対する緊急性も無いことから、公的媒体が表現を自主規制すべき合理的根拠にはなり得ないと判断できるのではないか。

 この構図は、筆者が以前「赤いきつねCM炎上騒動は何が問題?「被害者」がすぐに「加害者」に変わる社会、私たちは少数意見にどう向き合えば良いか」で執筆した「赤いきつね」CM炎上事件でも同様であろう。

マッチポンプ・クレイムをどう察知するか

 今回取り上げた「こち亀」に対する抗議と報道は、ほぼ〝不発〟に終わったとはいえ、東京新聞によるマッチポンプ・クレイムの萌芽(少数の声や偏向した主張が報道を通じ「重要な社会問題」であるかのように既成事実化されようとする動き)が可視化されたともいえる。

 偽・誤情報を用いたインフルエンス・オペレーションが一層身近な脅威となりつつある社会において、社会はこうした小さな事象一つひとつを「ワクチン」のように利用することで手法や性質を学び、非常事態に備える免疫を獲得する必要があるのではないか。

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