2025年12月5日(金)

Wedge REPORT

2025年8月1日

東北の被災を語り継ぐ元名物おかみ

岩崎昭子さん。宿の窓から海を見ながら当時の様子を説明する。

 7月30日朝に発生したロシアカムチャッカ半島沖の地震では、日本の主に太平洋岸全域に津波警報や注意報が出た。岩手・久慈港では日本では最大となる1メートル30の津波が観測された。

 岩手は2011年の東北大震災でも大きな被害が出た地域だが、その被災地に残った旅館で今も毎日宿泊客に向けて震災の語り部を続けている女性がいる。釜石郊外の浜辺の料理宿宝来館の元おかみ、岩崎昭子さん(69)だ。

 宝来館は釜石の北にある大槌湾に面した場所にあり、津波に直撃されたが建物は一部破損したものの残った。そこが住民の避難場所となり、その後は各地から訪れるボランティアの宿泊場所にもなった。語り部の活動を始めたのは被災した2011年の5月頃からで、「色々助けていただいたボランティアの方に何かお礼がしたい、と思ったのですが、それならば被災の当時の様子を話してほしい、と言われたのがきっかけです」という。その後、2012年に宿が再建、再開され、そこから宿泊客に向けて希望があれば震災の事実を語り続ける、という活動をずっと続けている。

 宝来館は大槌湾に面した場所にあり、行政的には釜石に属する。しかし湾の対岸は大槌行政区で、その違いが被害に大きな差を産んだ。釜石側は地震後も役場が健在で、津波警報などが出された。ところが津波は川をまず俎上する。大槌の役場は川の側にあり、真っ先に被害を受けたため役場の人々が大勢亡くなり、適切に警報などを出すことができなかった。そのため人的被害は釜石よりも大槌側に多く見られた。

 岩崎さんは「役場で放送機器を前になんとかしよう、としていた町長さんの写真が残っています。大槌役場の人たちはさぞかし無念だったと思います」と語る。三陸海岸に面した場所では小学校や中学校の防災訓練も日頃から行われており、釜石では99.8%の児童が助かったが、津波にさらわれた大槌では多くの子供の犠牲が出た。当時は釜石の奇跡、大槌の悲劇、とも言われたが、現在では「釜石の出来事」という語られ方をするという。

宝来館の目の前にある大槌湾。晴れた日にはひょっこりひょうたん島のモデルとなった島が沖合に見える

訓練のはずが本番に

 宝来館のすぐ近くの元小学校があった場所は、その後整備されラグビー場ができた。釜石鵜住居復興スタジアム、と名付けられたこのスタジアムでは、2019年のラグビーワールドカップの試合も開催された。同時に防潮堤も整備されたが、宝来館は防潮堤の外にある。当時は高台の宿として知られていたが、地震による地盤沈下で今は目の前が海になった。

 ただし三陸海岸一帯は地盤が強く、宿の建て替えでも地中深くに土台を掘り下げることで津波にも流されにくい構造になった、という。現在では防潮堤の外側は住居として認められていないが、宝来館は流されずに残ったためこの地域で唯一の防潮堤の外側の宿として存続している。

 30日の津波は「目視で津波がきた、と確認できましたが、50センチ程度で被害はなかったです」と語る岩崎さん。実は毎年福岡の中学がここを被災地学習に訪れていて、当日は宿の裏から高台への避難訓練をしている最中に警報が出た。「訓練のはずが本番になっちゃって」と岩崎さんは驚きを語る。

防潮堤などが整備された大槌湾

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