語り部の活動を被災後30年まで頑張る!
自身が多くの人に助けられ支えられた経験から、岩崎さんも阪神淡路、能登の被災者と深い交流を持つ。「阪神淡路の人々は、被災した経験から大勢ボランティアとして東北を訪れ、助けてもらいました。能登では、東北でボランティアをしてくれた文教学院大学のブレーメンズというグループと一緒に被災地を訪れ、手助けなどを行いました」という。
そんな中、今年は阪神淡路大震災から30年で「1.17のつどい」が行われ、岩崎さんも参加した。それに深く感銘を受け、「本当はこうした語り部の活動を地震後10年、15年を目処に、と思っていましたが、30年までは頑張らねば、と今は思っています」という。
宝来館があるのは三陸鉄道(三鉄)鵜住居駅の近くだ。釜石からは2駅、15分程度で、駅から宿までは徒歩で20分ほどだ。三鉄はジオトープとしての三陸海岸を観光資源に掲げ、各駅にグッズ売り場を設置するなど観光誘致にも熱心だが、どうしても新幹線の通る岩手内陸部からの交通の便が悪く、思ったほどの観光客を集めきれていないのが現状だ。それでも筆者が訪れた時も鉄道写真を撮影するために何人かが集まっており、三鉄人気は健在のようだった。
現在岩手沿岸部ではリアス式の湾ごとに立派な防潮堤が設置され、地震や津波への備えは盤石に見える。しかし三鉄で釜石経由、終点の盛駅まで1時間あまり、そこからBRT(震災後に鉄道がバス輸送に振り替えられた)で気仙沼まで1時間超、そして気仙沼から新幹線停車駅の一関までも1時間と少し、途中の待合時間を含めると4時間を超える移動となり、1本電車を逃すと1~2時間は待つ必要がある。かつては鉄とラグビーの街として栄えた釜石も、現在は駅前も閑散としてタクシーを拾うのも一苦労。
それでも岩崎さんは復興したこの街で「もう一度ラグビーワールドカップを招致したい」という夢を持つ。地方が抱える問題は山積しているが、地震と津波による破壊と復興を成し遂げた地元の人々が、岩手という自然豊かな土地と地元の美味しい食べ物をアピールして人々を呼び込みたい、という気持ちに揺らぎはない。
