バングラデシュ初の女性首相を務めたカレダ・ジア氏(2016年、ダッカで撮影)
バングラデシュ初の女性首相を務めたカレダ・ジア氏が30日、長い闘病生活の末に亡くなった。80歳だった。
「私たちの敬愛する指導者は、もはや私たちのそばにはいません。彼女は今朝6時に旅立ちました」と、BNPは発表した。
ジア氏は1991年、20年ぶりに実施された民主的な選挙で、自身が率いるバングラデシュ民族主義党(BNP)を勝利に導き、女性として初めてバングラデシュの首相に就任した。
ジア氏の担当医は29日、同氏の容体が「極めて危険な状態」だと明らかにしていた。同氏は生命維持装置につながれていた。しかし、高齢で体調が思わしくなかったことから、複数の治療を同時に行うことは不可能な状態だったという。
ジア氏の健康状態が悪化していたにもかかわらず、BNPは2026年2月に予定されている総選挙にジア氏が出馬する意向だとしていた。これは、ジア氏の政敵で、3回首相を務めたシェイク・ハシナ氏が大規模な抗議活動を受けてインドに逃亡後、初めて行われる総選挙となる。
ジア氏とハシナ氏という2人の女性の激しい確執は数十年にわたり、バングラデシュの政治を特徴づけてきた。第9、第11代首相のジア氏と、第10、第12代表首相のハシナ氏は交互に政権を担った。
市民が病院に集まる
ジア氏はこの1カ月間、腎臓障害や心臓病、肺炎などの治療のため入院していた。
容体悪化が明らかになると、暫定政府を率いるムハマド・ユヌス氏がジア氏のために祈るよう国民に呼びかけた。ジア氏は「国民にとって最上のインスピレーションの源」だと、ユヌス氏はたたえた。
BNPによると、息子ラフマン氏と、その妻と娘を含むジア氏の家族が、最期の瞬間を見守ったという。
「私たちは、彼女の魂の安らかな眠りを祈るとともに、故人に祈りを捧げてくださるよう皆さんにお願いします」と、BNPは声明で呼びかけた。
ジア氏の訃報が伝わると、ダッカ市内の病院の外には大勢が集まった。現場の写真では、大勢が病院内に入ろうとするのを複数の警官が制止する様子が写っている。
夫の暗殺後に政界入り
ジア氏は、バングラデシュのジアウル・ラフマン元大統領の妻として初めて注目を集めた。1981年の軍事クーデターで夫が暗殺された後に政界入りし、BNPの党首へと上り詰めた。
1991年に首相に就任。任期満了を迎えた1996年に再選を果たしたものの、わずか数週間で首相を退いた。
最初の任期は、女性の教育と社会開発を改善する取り組みが広く称賛された。政権は超党派の支持を得て憲法を改正し、議会制民主主義を復活させた。
一方、1996年の2期目はわずか数週間しか続かなかった。中立的な暫定政権を求める野党の要求にもかかわらず、一方的な選挙を実施したことで批判された。中立的な暫定政権の設置は、議会が解散する前に承認していた措置だった。
その後、2001年に首相に返り咲いたが、2006年10月の総選挙を前に辞任した。政権は腐敗を厳しく非難されていた。
ジア氏の政治キャリアは、汚職疑惑や、昨年失脚したアワミ連盟のハシナ党首との長年の政治的対立で損なわれてきた。
ハシナ政権時代の2018年には、汚職の罪で収監された。ジア氏は不正行為を否定し、訴追は政治的動機によるものだと主張していた。
昨年8月にハシナ首相(当時)が、数週間にわたる反政府デモの末に辞任し、国外に脱出して間もなく、ジア氏は釈放された。BNPはその後、ジア氏が次の総選挙に向けて選挙活動を行う意向だと発表していた。
BNPは総選挙での政権奪還を狙っている。もし実現すれば、ジア氏の息子タリク・ラフマン氏(60)が新たな国家指導者となる見込み。
タリク・ラフマン氏は英ロンドンで17年間亡命生活を送り、先週バングラデシュに帰国したばかりだった。
(英語記事 Bangladesh's first female prime minister Khaleda Zia dies aged 80)
